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■10677 / inTopicNo.85)  Re[7]: 哲学の雑談 8
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/24(Sun) 10:22:52)
    knowing itselfさん、これまでのことを考えてみると次のようになったのですが
    これでよろしいでしょうか。

    人間の完成とは、キリスト自身なのですが、ただ「永遠の生命」について語ることは、理性による探究で練り上げられた言語の「分別」によっては不可能であり、「三位一体」なる神は、イエス様が自らの神性の秘密を弟子たちに明かたように、聖書つまり神の啓示に対する信仰にもとづくものであり、「三位一体」は、あくまで「信仰のみ」に頼る自分自身のこころの探究と言えます。

    人間の救いとは、イエス・キリストの十字架の死による贖いにより成就したものであり、キリストを信じることができるのは、基本的に聖霊の賜物によってのみ信仰ができるからです。

    そして、トマスアクィナスも人間がその固有の理性の力のみで神のペルソナの三つの位格についての区別に到達することは、絶対できないもとしているからです。

    そこには、やはり、こころである信仰がなければならないし、信仰は、神から与えられた聖霊の働きによらなければ出来ないから当然かなと思います。
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■10672 / inTopicNo.86)  Re[7]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/23(Sat) 21:06:50)
    knowing itselfさん、再び素敵な書き込みですね。

    >>三位一体の内なる、神のことば=子なる神が、人間の最底・最弱の地平に下降してきた。弟子は1センチも上昇したのではなく、さりとて1センチも下降したのでもない。その地平で共にいることを選ぶことしか残らない。
    >
    > 地上、地を否定して天上、天だけを意味あるものとするのではなく、天上を否定して地上だけを意味あるものとするのでもない。
    >
    > 天と地の合体、天と地の結婚と喩えられるのが正しい事態。天の完全性、純粋性をそのままキープしながら、地に降りてきて一つになる。

    天と地の結婚だなんて。
    そんな壮大なことだったんですね。
    イエス様が地上に降りたというのは。
    それを素直に信じられるのは、幸福な証拠と言えますね。
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■10671 / inTopicNo.87)  Re[6]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/23(Sat) 19:32:40)
    自己レス

    > 三位一体の内なる、神のことば=子なる神が、人間の最底・最弱の地平に下降してきた。弟子は1センチも上昇したのではなく、さりとて1センチも下降したのでもない。その地平で共にいることを選ぶことしか残らない。

    地上、地を否定して天上、天だけを意味あるものとするのではなく、天上を否定して地上だけを意味あるものとするのでもない。

    天と地の合体、天と地の結婚と喩えられるのが正しい事態。天の完全性、純粋性をそのままキープしながら、地に降りてきて一つになる。
引用返信/返信 削除キー/
■10656 / inTopicNo.88)  Re[10]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/23(Sat) 08:26:04)
    No10641に返信(勿忘草さんの記事)
    > knowing itselfさんトマスアクィナスの書き込みいいですね。
    >
    >>トマスアクィナスの神学は、存在と本質は神にあっては一致するも、被造物にあっては存在と本質は分離しているとする。神は存在そのもの。被造物である人間は存在そのものから存在を分け与えられているだけ。神に向かって歩んでいくのが人間なので、存在は否定されるものではなく、肯定性すべきもの。
    >
    > 「神学大全」では、トマスの三位一体論が書かれていますが、それは、決して
    > 思弁的なものではなく、神の愛を述べているように思います。
    >
    > 三位一体の奥義である神は万物に自らの存在を分与する愛と交わりの神です。

    存在即交わりですね。

    > そして、人は、愛である神の本性に与ること、人間の本性を完成する道は、人となった神であるキリスト自身なのだと。
    >
    > 神が分け与える愛は、神とキリストと聖霊が、3が1「一つ」であることです。

    トマスアクィナスは、神の存在証明そのものは理性によって可能だとしながら、三位一体の神秘については信仰の領域にあるとしているようですね。


    > 仏教でも、縁起、空。根底にあるのは、あらゆるものには固定した「実体がない」ということ。仏法はそこ「空」に気づけば苦悩から解放されると説きます。
    >
    > しかし、なぜ気づけないのか。
    >
    > それを妨げる日常の思考の習慣、物事を対象化してとらえ、本来「一つ」であるものを「区別」してしまう言葉による心の動き「分別」があるからです。
    >
    > また、迷いの元である「煩悩」は、この「分別」からきているからです。
    >
    > このように、三位一体は、人間の小賢しい「分別」によって神の愛、真理への道が閉ざされているように思えます。
引用返信/返信 削除キー/
■10655 / inTopicNo.89)  Re[5]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/23(Sat) 08:21:02)
    勿忘草さん レスありがとうございます。

    >>ヨーロッパ的な思考は、数学、科学、哲学、以下の諸学その他に至るまで、公理的なものからの緻密な構成という発想に拠ると思います。神学や聖書解釈学でもそうですね。二千年にわたって多くの賢い人間によって考え抜かれているので、限界まで極められています。
    >
    > なるほど、そうですね。
    >
    >>信仰の場合は、もちろん、理屈だけではどうしようもないですが。人生の中で実証した、というか、三位一体の神によって選ばれたのが、新約聖書に登場する弟子たちでしょう。キリスト教とは、マリアや弟子による三位一体の神の実証を信じる教えといっていいかもしれません。しかし、マリア教やパウロ教やペテロ教には絶対にならないのですね。ならないような仕掛けができています。
    >
    > 三位一体の神によって選ばれた弟子たちは、特別立派な人たちではなかったというところが神技という感じがします。

    そうですね。

    > それと、マリア教やパウロ教やペテロ教にならない仕掛けって何の事でしょうか。

    これも結局は、三位一体ということだと思います。

    三位一体の内なる、神のことば=子なる神が、人間の最底・最弱の地平に下降してきた。弟子は1センチも上昇したのではなく、さりとて1センチも下降したのでもない。その地平で共にいることを選ぶことしか残らない。

引用返信/返信 削除キー/
■10641 / inTopicNo.90)  Re[9]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/21(Thu) 22:01:51)
    knowing itselfさんトマスアクィナスの書き込みいいですね。

    > トマスアクィナスの神学は、存在と本質は神にあっては一致するも、被造物にあっては存在と本質は分離しているとする。神は存在そのもの。被造物である人間は存在そのものから存在を分け与えられているだけ。神に向かって歩んでいくのが人間なので、存在は否定されるものではなく、肯定性すべきもの。

    「神学大全」では、トマスの三位一体論が書かれていますが、それは、決して
    思弁的なものではなく、神の愛を述べているように思います。

    三位一体の奥義である神は万物に自らの存在を分与する愛と交わりの神です。
    そして、人は、愛である神の本性に与ること、人間の本性を完成する道は、人となった神であるキリスト自身なのだと。

    神が分け与える愛は、神とキリストと聖霊が、3が1「一つ」であることです。

    仏教でも、縁起、空。根底にあるのは、あらゆるものには固定した「実体がない」ということ。仏法はそこ「空」に気づけば苦悩から解放されると説きます。

    しかし、なぜ気づけないのか。

    それを妨げる日常の思考の習慣、物事を対象化してとらえ、本来「一つ」であるものを「区別」してしまう言葉による心の動き「分別」があるからです。

    また、迷いの元である「煩悩」は、この「分別」からきているからです。

    このように、三位一体は、人間の小賢しい「分別」によって神の愛、真理への道が閉ざされているように思えます。
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■10639 / inTopicNo.91)  Re[5]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/21(Thu) 21:06:31)
    ノウセルフさん、勿忘草さんは■10636なの。
    なんかわたし勿忘草さんはチズオを思い出させるのね。
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■10636 / inTopicNo.92)  Re[4]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/21(Thu) 19:50:34)
    knowing itselfさんこんばんは。
    チョッと忙しくて御無沙汰してしまいました。
    またまた、素敵な書き込み、ありがとうございます。

    なかなか、暖かくなりませんね。
    でも、春まで前向きに行きたいと思います。

    > ヨーロッパ的な思考は、数学、科学、哲学、以下の諸学その他に至るまで、公理的なものからの緻密な構成という発想に拠ると思います。神学や聖書解釈学でもそうですね。二千年にわたって多くの賢い人間によって考え抜かれているので、限界まで極められています。

    なるほど、そうですね。

    > 信仰の場合は、もちろん、理屈だけではどうしようもないですが。人生の中で実証した、というか、三位一体の神によって選ばれたのが、新約聖書に登場する弟子たちでしょう。キリスト教とは、マリアや弟子による三位一体の神の実証を信じる教えといっていいかもしれません。しかし、マリア教やパウロ教やペテロ教には絶対にならないのですね。ならないような仕掛けができています。

    三位一体の神によって選ばれた弟子たちは、特別立派な人たちではなかったというところが神技という感じがします。
    それと、マリア教やパウロ教やペテロ教にならない仕掛けって何の事でしょうか。

    > 素晴らしい話しですね。自然や宇宙が人間のちっぽけなアタマに収まるはずがない、それなら、自然や宇宙のさらに奥にあるものは、それ以上に人間のちっぽけなアタマに収まるはずはない。

    ああ、そうなんですよね。
    ナントか上を目指そうとしているけど、なかなかそうはなれないのは、そもそも
    ちっぽけなアタマの人間には無理なのかなと思ったりします。
    実は、そんな謙虚さも必要なのかもしれませんね。

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■10634 / inTopicNo.93)  Re[8]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/21(Thu) 19:11:46)
    トマスアクィナスの神学は、存在と本質は神にあっては一致するも、被造物にあっては存在と本質は分離しているとする。神は存在そのもの。被造物である人間は存在そのものから存在を分け与えられているだけ。神に向かって歩んでいくのが人間なので、存在は否定されるものではなく、肯定性すべきもの。
引用返信/返信 削除キー/
■10633 / inTopicNo.94)  Re[7]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/21(Thu) 19:02:34)
    No10631に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■10626、
    > キリストの教えって、
    > >逆でしょう<
    > じゃないと思う。
    > >もっと存在しろ、存在性のレベルを上げろ<
    > だとしたら、わたしが言ってるのは「もっと私が存在しろ、私の存在性のレベルを上げろ」ってなるんだけど、そうじゃないんじゃないの?キリストが教えたがってることは。

    ヨハネによる福音書8・58と出エジプト記3・14を読んでください。「私はある」が神の自己定義。イエスも自分をそうみなしたので、神であることを自己宣言したと解釈されています。

    存在するとは「ある」 のこと。人間も「私はある」性を神のレベルにもっていく、これが聖書の教えの指針です。
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■10631 / inTopicNo.95)  Re[6]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/21(Thu) 18:35:25)
    ■10626、
    キリストの教えって、
    >逆でしょう<
    じゃないと思う。
    >もっと存在しろ、存在性のレベルを上げろ<
    だとしたら、わたしが言ってるのは「もっと私が存在しろ、私の存在性のレベルを上げろ」ってなるんだけど、そうじゃないんじゃないの?キリストが教えたがってることは。

    きっと勿忘草さんは、わたしの見方に、うんうん、ってうなずいているはず。


引用返信/返信 削除キー/
■10626 / inTopicNo.96)  Re[5]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/21(Thu) 07:35:32)
    No10615に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 信仰のうちから
    >
    > 私が神に殺されるとき、私のうちに神が生まれる。
    >
    > 私は存在してはいけないのだ、と神はおっしゃる。

    逆でしょう。もっと存在しろ、存在性のレベルを上げろ。
引用返信/返信 削除キー/

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