| knowing itselfさん、これまでのことを考えてみると次のようになったのですが これでよろしいでしょうか。
人間の完成とは、キリスト自身なのですが、ただ「永遠の生命」について語ることは、理性による探究で練り上げられた言語の「分別」によっては不可能であり、「三位一体」なる神は、イエス様が自らの神性の秘密を弟子たちに明かたように、聖書つまり神の啓示に対する信仰にもとづくものであり、「三位一体」は、あくまで「信仰のみ」に頼る自分自身のこころの探究と言えます。
人間の救いとは、イエス・キリストの十字架の死による贖いにより成就したものであり、キリストを信じることができるのは、基本的に聖霊の賜物によってのみ信仰ができるからです。
そして、トマスアクィナスも人間がその固有の理性の力のみで神のペルソナの三つの位格についての区別に到達することは、絶対できないもとしているからです。
そこには、やはり、こころである信仰がなければならないし、信仰は、神から与えられた聖霊の働きによらなければ出来ないから当然かなと思います。
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