(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■10710 / inTopicNo.73)  Re[13]: 聖書の特殊性
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/27(Wed) 19:28:37)
    knowing itselfさん、またまた素晴らしい書き込みありがとうございます。

    自分も聖書こそが神の言葉だと思っていたのですが、今回も目から鱗でした。

    > 厳密にいうと、聖書テキストがイコールでそのまま神のことば、じゃないね。聖書という書物が誕生する以前に神のことばはあった。それどころか、宇宙万物が誕生する以前から神のことばはあった。

    なるほど、自分だけでは、そう言う考えも浮かばなかったけれど、きっと、宇宙万物が誕生する以前から神のことばは存在していたのだと思います。

    > 聖書に文字通り記されていることを、それだけを盲信する聖書原理主義は本質的に成り立ちえない。
    >
    > 宇宙ができる以前からあった神のことばを復元、再構成するのが聖書。より大事なのはその神のことば。
    >
    > 小説や哲学書などの文献解読と聖書を読む作業の差異はここにある。

    そうなのですね。神の言葉を復元した聖書。
    本当に見方というか見え方というかが変わりました。

    > ついでにいうと、宇宙創成以前に、人間の差別、序列は存在しえない。神のことばが人間の差別や序列を生み出すことを目的にするのはおかしい、ありえない感じ。
    >
    > もちろん、神のことばとは、子なる神とそのままイコール。

    これは、予定説のことを述べられてのことでしょうか。
    最初から人間の天国行きと地獄行きは、決まっているのだと。

    それから、聖霊のYouTubeのご紹介ありがとうございました。
    いろいろ考えさせられました。
引用返信/返信 削除キー/
■10707 / inTopicNo.74)  聖書の特殊性
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/26(Tue) 21:41:34)
    厳密にいうと、聖書テキストがイコールでそのまま神のことば、じゃないね。聖書という書物が誕生する以前に神のことばはあった。それどころか、宇宙万物が誕生する以前から神のことばはあった。

    聖書に文字通り記されていることを、それだけを盲信する聖書原理主義は本質的に成り立ちえない。

    宇宙ができる以前からあった神のことばを復元、再構成するのが聖書。より大事なのはその神のことば。

    小説や哲学書などの文献解読と聖書を読む作業の差異はここにある。

    ついでにいうと、宇宙創成以前に、人間の差別、序列は存在しえない。神のことばが人間の差別や序列を生み出すことを目的にするのはおかしい、ありえない感じ。

    もちろん、神のことばとは、子なる神とそのままイコール。
引用返信/返信 削除キー/
■10706 / inTopicNo.75)  ユーチューブ
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/26(Tue) 20:39:09)
    勿忘草さん こんばんは

    わたしの発言には、間違ったことや勇み足的なものも含まれていると思います。ただ、世界中で読まれているテキストの解釈にはごまかしがきかないので、メタ認知やフィードバックにさらされることは大歓迎です。その中で学びが深まっていけばいい。

    キリスト教を理解するための情報環境、現在ほど恵まれている時代はないと思います。日本人にとってキリシタン伝来以来、正しい受容のためには現在が最高の時代です。ユーチューブがあることは大きいですね。英語圏のものは質量充実しています。

    ほんの一例として、

    https://youtu.be/oNNZO9i1Gjc
引用返信/返信 削除キー/
■10704 / inTopicNo.76)  Re[11]: 内在的三位一体と経綸的三位一体
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/26(Tue) 19:22:27)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    自分の至らなさは、マタイによる福音書13章の「マタイの法則」ように感じてしまいます。

    『10弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。
    11イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。 12持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 13だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。』

    もっと、誠意をもって聖書と向き合わないといけないと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■10698 / inTopicNo.77)  Re[10]: 内在的三位一体と経綸的三位一体
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/25(Mon) 19:36:19)
    こんばんは。

    それにしてもknowing itselfさんは、私が見逃したり気づかなかったりした点を
    詳細に解説されていて本当に素晴らしいと思うとともに大変助かり感謝です。

    >>20世紀にカール・バルトにより深められた内在的三位一体と経綸的(けいりんてき)三位一体との同一性の主張は、神の計画と目的とを感じさせられます。
    >>
    >>前者は神ご自身の内でのことであり,後者は人間とか歴史とかに働きかける
    >>神の外への関係のことだとされています。
    >
    > 説明の仕方として秀逸ですね。前者はヨハネ福音書1・1、 創世記1・1以前のことであり、後者は聖書のそれ以後の展開についてですね。前後で三位一体は寸分も変わらず同一であるとされます。

    この創造前と創造後の歴史の展開の前後で変わらないという視点が既に自分が
    及ばないところです。

    >>神のあふれる愛の結果、内在的から外部の経綸的の世界へと自己選択された「神なる内なる外に向かっての意志決定」と言えます。
    >>
    >>神の内在的三位一体における経綸に向かう意思決定は、歴史に示された啓示であり
    >>イエス様の受肉の決意と御子の派遣そして十字架における贖罪の決意と共に聖霊の派遣の決意があり,創造, 救済,完成へと至る神の計画,救済史の決意がありました。
    >>
    >>この辺のことを説明した齋藤真行牧師の動画がありましたので引用しておきます。
    >>https://www.youtube.com/watch?v=02uA_VEA0UU&list=PLT9K7kNWtC3hAV_eQoKpKk4gHWx5JVrsP&index=6
    >
    > なかなかいい説明だと思います。三位一体は作られたすべてのものの、原型、構造的な原型だと言われていましたが、まさにしかり。被造物である全宇宙を生物個体に擬えるなら、その個体にはDNAがあって、そのDNAが模しているよりパーフェクトな理想のDNAが三位一体になるのではと。
    >
    > 三位一体は小難しい理屈ではなく、そこで深められ考えられた内容が神学の全領域に適用されていくとも言っていました。三位一体こそが、神学や聖書解釈の味わいに魅力を増幅させる、秘伝中の秘伝の隠し味とも言えると思います。

    なんてコメントしたら良いか分からないほどスゴイです。
    稲垣良典「トマスアクィナス『神学大全』」の時もそうでしたが、自分もこの本を読んでいたのに気づかなかった。
    今一度、読み返したり齋藤真行牧師のYouTubeを見直したりしたいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■10697 / inTopicNo.78)  Re[10]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/25(Mon) 19:31:34)
    >>トマスアクィナスをは基本的に「理性」への信頼が、ルターなどより遥かに強いのではないでしょうか。最後の最後は、そして最も本質的な秘義については、理性を超えた信仰の神秘になるとしても、その直前までのプロセスでは「理性」に対して楽観的なものがあると思います。
    >
    > まずは、理性から入ってそれから信仰なのですね。

    親鸞やルターとは、この点が違うかなと。理性と愛という信仰の神秘がまったく相いれない関係にあって、理性を悪もの扱いし、理性を否定して非合理な信仰にジャンプしろ、というのではないと思います、トマスアクィナスは。

    愛の中に理性も部分として含まれているというか。より完全で包括的なのは愛です。愛という信仰の神秘と理性は共存できますが、理性を愛に向けて開いていくことでそれは可能になる。

引用返信/返信 削除キー/
■10696 / inTopicNo.79)  Re[9]: 内在的三位一体と経綸的三位一体
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/25(Mon) 19:17:16)
    勿忘草さん こんばんは。

    > 20世紀にカール・バルトにより深められた内在的三位一体と経綸的(けいりんてき)三位一体との同一性の主張は、神の計画と目的とを感じさせられます。
    >
    > 前者は神ご自身の内でのことであり,後者は人間とか歴史とかに働きかける
    > 神の外への関係のことだとされています。

    説明の仕方として秀逸ですね。前者はヨハネ福音書1・1、 創世記1・1以前のことであり、後者は聖書のそれ以後の展開についてですね。前後で三位一体は寸分も変わらず同一であるとされます。


    > 神のあふれる愛の結果、内在的から外部の経綸的の世界へと自己選択された「神なる内なる外に向かっての意志決定」と言えます。
    >
    > 神の内在的三位一体における経綸に向かう意思決定は、歴史に示された啓示であり
    > イエス様の受肉の決意と御子の派遣そして十字架における贖罪の決意と共に聖霊の派遣の決意があり,創造, 救済,完成へと至る神の計画,救済史の決意がありました。
    >
    > この辺のことを説明した齋藤真行牧師の動画がありましたので引用しておきます。
    > https://www.youtube.com/watch?v=02uA_VEA0UU&list=PLT9K7kNWtC3hAV_eQoKpKk4gHWx5JVrsP&index=6

    なかなかいい説明だと思います。三位一体は作られたすべてのものの、原型、構造的な原型だと言われていましたが、まさにしかり。被造物である全宇宙を生物個体に擬えるなら、その個体にはDNAがあって、そのDNAが模しているよりパーフェクトな理想のDNAが三位一体になるのではと。

    三位一体は小難しい理屈ではなく、そこで深められ考えられた内容が神学の全領域に適用されていくとも言っていました。三位一体こそが、神学や聖書解釈の味わいに魅力を増幅させる、秘伝中の秘伝の隠し味とも言えると思います。

    > 神は、どこまでも愛の神であり、内在的に自己完結するのではなく、外に向かってその意思決定をすることで世界へ愛を伝播させていくように思えます。
引用返信/返信 削除キー/
■10688 / inTopicNo.80)  Re[9]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/24(Sun) 18:06:35)
    knowing itselfさん、早速のご回答ありがとうございます。

    > その通りトマスは言っていますね。ただ、稲垣良典「トマスアクィナス『神学大全』」p63以下を参照すると、次のようにも言っています。
    >
    > 「人間理性は無限への可能性を有する力であるから、固有のちからによっては知りえない事柄に対しても自らを開くことができ、第二章で述べたように「知られざるままの神に触れる」という仕方で、ペルソナの区別についても何らかの認識に到達することができる。トマスの三位一体論はそのような、人間理性が(自力では把握できない啓示の真理に自らを従わせる、との意味で)、一種の自己否定ないし自己超越によって遂行する神認識である、と言うことができよう。」

    なるほど、理性の自己否定、自己超越による神の認識でしたか。

    >>そこには、やはり、こころである信仰がなければならないし、信仰は、神から与えられた聖霊の働きによらなければ出来ないから当然かなと思います。
    >
    >
    > ある程度までは信仰もできるとしているのではないでしょうか。ただ、ある線を決定的に超えるためには聖霊の働きがもちろん必要でしょう。
    >
    > トマスアクィナスをは基本的に「理性」への信頼が、ルターなどより遥かに強いのではないでしょうか。最後の最後は、そして最も本質的な秘義については、理性を超えた信仰の神秘になるとしても、その直前までのプロセスでは「理性」に対して楽観的なものがあると思います。

    まずは、理性から入ってそれから信仰なのですね。
引用返信/返信 削除キー/
■10687 / inTopicNo.81)  Re[9]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/24(Sun) 18:01:45)
    knowing itselfさん、またまた目から鱗の書き込みありがとうございます。

    > 般若心経の「色即是空 空即是色」との類似性をみることができます。天→空、地→色の対応がいちおう。霊と物質の関係としては、違いはほとんど感じられません。
    >
    > ただ、聖書は始原に天と地の創造主体を置きます。創世記1・1。空と色が行き止まりではなく、それを創造した存在がある。三位一体の神ですね。

    般若心経と聖書との類似性、それは、本当に世の中の真理なので、全く違いがないのかも知れませんね。

    でも、そこをさらに三位一体の神の創造までの考えに至るとはスゴイです。
引用返信/返信 削除キー/
■10686 / inTopicNo.82)  内在的三位一体と経綸的三位一体
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/01/24(Sun) 17:53:02)
    20世紀にカール・バルトにより深められた内在的三位一体と経綸的(けいりんてき)三位一体との同一性の主張は、神の計画と目的とを感じさせられます。

    前者は神ご自身の内でのことであり,後者は人間とか歴史とかに働きかける
    神の外への関係のことだとされています。
    神のあふれる愛の結果、内在的から外部の経綸的の世界へと自己選択された「神なる内なる外に向かっての意志決定」と言えます。

    神の内在的三位一体における経綸に向かう意思決定は、歴史に示された啓示であり
    イエス様の受肉の決意と御子の派遣そして十字架における贖罪の決意と共に聖霊の派遣の決意があり,創造, 救済,完成へと至る神の計画,救済史の決意がありました。

    この辺のことを説明した齋藤真行牧師の動画がありましたので引用しておきます。
    https://www.youtube.com/watch?v=02uA_VEA0UU&list=PLT9K7kNWtC3hAV_eQoKpKk4gHWx5JVrsP&index=6

    神は、どこまでも愛の神であり、内在的に自己完結するのではなく、外に向かってその意思決定をすることで世界へ愛を伝播させていくように思えます。
引用返信/返信 削除キー/
■10684 / inTopicNo.83)  Re[8]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/24(Sun) 16:43:46)
    No10677に返信(勿忘草さんの記事)
    > knowing itselfさん、これまでのことを考えてみると次のようになったのですが
    > これでよろしいでしょうか。
    >
    > 人間の完成とは、キリスト自身なのですが、ただ「永遠の生命」について語ることは、理性による探究で練り上げられた言語の「分別」によっては不可能であり、「三位一体」なる神は、イエス様が自らの神性の秘密を弟子たちに明かたように、聖書つまり神の啓示に対する信仰にもとづくものであり、「三位一体」は、あくまで「信仰のみ」に頼る自分自身のこころの探究と言えます。
    >
    > 人間の救いとは、イエス・キリストの十字架の死による贖いにより成就したものであり、キリストを信じることができるのは、基本的に聖霊の賜物によってのみ信仰ができるからです。
    >
    > そして、トマスアクィナスも人間がその固有の理性の力のみで神のペルソナの三つの位格についての区別に到達することは、絶対できないもとしているからです。

    その通りトマスは言っていますね。ただ、稲垣良典「トマスアクィナス『神学大全』」p63以下を参照すると、次のようにも言っています。

    「人間理性は無限への可能性を有する力であるから、固有のちからによっては知りえない事柄に対しても自らを開くことができ、第二章で述べたように「知られざるままの神に触れる」という仕方で、ペルソナの区別についても何らかの認識に到達することができる。トマスの三位一体論はそのような、人間理性が(自力では把握できない啓示の真理に自らを従わせる、との意味で)、一種の自己否定ないし自己超越によって遂行する神認識である、と言うことができよう。」



    > そこには、やはり、こころである信仰がなければならないし、信仰は、神から与えられた聖霊の働きによらなければ出来ないから当然かなと思います。


    ある程度までは信仰もできるとしているのではないでしょうか。ただ、ある線を決定的に超えるためには聖霊の働きがもちろん必要でしょう。

    トマスアクィナスをは基本的に「理性」への信頼が、ルターなどより遥かに強いのではないでしょうか。最後の最後は、そして最も本質的な秘義については、理性を超えた信仰の神秘になるとしても、その直前までのプロセスでは「理性」に対して楽観的なものがあると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■10683 / inTopicNo.84)  Re[8]: 哲学の雑談 8
□投稿者/ knowing itself -(2021/01/24(Sun) 16:18:14)
    勿忘草さん レスありがとうございます。

    > >>三位一体の内なる、神のことば=子なる神が、人間の最底・最弱の地平に下降してきた。弟子は1センチも上昇したのではなく、さりとて1センチも下降したのでもない。その地平で共にいることを選ぶことしか残らない。
    >>
    >>地上、地を否定して天上、天だけを意味あるものとするのではなく、天上を否定して地上だけを意味あるものとするのでもない。
    >>
    >>天と地の合体、天と地の結婚と喩えられるのが正しい事態。天の完全性、純粋性をそのままキープしながら、地に降りてきて一つになる。
    >
    > 天と地の結婚だなんて。
    > そんな壮大なことだったんですね。

    > イエス様が地上に降りたというのは。
    > それを素直に信じられるのは、幸福な証拠と言えますね。


    般若心経の「色即是空 空即是色」との類似性をみることができます。天→空、地→色の対応がいちおう。霊と物質の関係としては、違いはほとんど感じられません。

    ただ、聖書は始原に天と地の創造主体を置きます。創世記1・1。空と色が行き止まりではなく、それを創造した存在がある。三位一体の神ですね。
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -