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■10954 / inTopicNo.37)  Re[35]: プラトニズムとキリスト教の違い
  
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/11(Thu) 18:43:08)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    あっという間に祝日が終わってしまいましたが、今日は、また素晴らしい書き込みの数々に触れられて大変ためになりました。ありがとうございます。

    > 三位一体の神の交わりに、子なる神の受肉を通して参入するという、キリスト教の基本原理からいって、聖母マリアの否定は考えにくいでしょう。

    ああ、そう言うことでしたか。
    子なる神の受肉を通して参入する我々人間にとって聖母マリアは、やはり、外せないということだったのですね。
    どうも、サンタマリアについては、カトリックの色彩が強い感じがして、本当のところどうなのかなと思っていたところです。
    しかも、イエス様が復活してから全くと言って登場しない、どうして母上なのにイエス差に会わなかったのかなと疑問に思っていたからでした。

    > 受肉したイエスと生々しく直接触れあっている人間が、その人間だけ三位一体の神の交わりから除外されて、救いから漏れる?これはキリスト教の否定でしかない。イエスの実存は神話や宗教的な物語とみなし、死後のイエスを内面で信仰することに還元してしまうならともかく。

    受肉し生々しく直接触れあったサンタマリア様は、やはり、素晴らしいのだと改めて認識させられました。
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■10948 / inTopicNo.38)  フィクションではなくノンフィクション
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/11(Thu) 16:16:38)
    小説や物語、神話などのフィクションではなく、ノンフィクションであるというのが聖書に対するキリスト教信仰の立場でしょう。ノンフィクションにしても、作者の筆力で実際の人物を魅了的に書き込んでいるから愛読するというのではなく、ほんまんもんの神であり人間であったその存在が実際に凄かったから聖書を読むのがキリスト教。聖書は至高の書物だとしても、それ以上に、リアルのイエスとイエスを囲んだ共同体>聖書、となるのかなと。

    もちろん上記を、イエスを信じない人に対して証明することは困難です。が、ことの本質からいって、上記の前提に立つことがキリスト教であることは否定できない。

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■10947 / inTopicNo.39)  Re[34]: プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/11(Thu) 15:30:36)
    三位一体の神の交わりに、子なる神の受肉を通して参入するという、キリスト教の基本原理からいって、聖母マリアの否定は考えにくいでしょう。

    受肉したイエスと生々しく直接触れあっている人間が、その人間だけ三位一体の神の交わりから除外されて、救いから漏れる?これはキリスト教の否定でしかない。イエスの実存は神話や宗教的な物語とみなし、死後のイエスを内面で信仰することに還元してしまうならともかく。

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■10946 / inTopicNo.40)  Re[33]: プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/11(Thu) 13:04:26)
    > そういえば聖母マリア様は、どうなってしまったのでしょうか。
    >
    > マリア様はイエス様が十字架に架けられて処刑される場面でその様子を見にきていました。
    >
    > その後、イエスは亡くなる前に弟子の1人であるヨハネに母マリア様の世話を任せ、
    > 息を引き取っていきました。
    >
    > 聖書に書かれているマリアの記述はここまでですが、マリア様は生涯を終える際に昇天したという伝説があります。
    > もしこれが本当なら、マリアは死を経験せずに天に昇ったということになりますね。
    >
    > でも、これって本当の話なのでしょうか。
    >
    > イエス様が昇天したのは、三位一体の神なので、まだ何となく分かるのですが、
    > マリア様までというのは、聖書にも書かれていないし、第一十字架のあと復活の場面にも全くと言って登場してきません。

    聖母マリアについては、カトリックとプロテスタントで大きく立場が違い、また神学的にももの凄く重要なテーマに触れるので、簡単にはいかないと思います。

    マリアの被昇天は、地上の生を死によって終えてからなので、死を経験せずにではないと思います。

    聖母マリアだけ特別扱いで、人間の中でお先に肉体をもって天に上げられたのは不公平という見方もありうるかと思いますが、いずれ人間たちが肉体をもって天にいくこと(これこそがキリスト教信仰の最大の眼目!)の決定的な証拠と見ることも可能でしょう。聖母マリアはあくまで人間で、最初のクリスチャンともいえます。聖母マリアでさえ天においてキリストと共にいることができないなら、誰が天にいけるだろうか、となるかもしれません。神の独り子の現存を生々しいリアルに与えられたという意味で実母マリア以上の人間はありえないですね。千年後に異国で
    聖書を通してキリストに出会ったというのとは比べられません。キリスト信仰が後世の神話的な美化・捏造ではなく、生々しい歴史的な実存としても真理であるなら、キリストと聖母マリアはどちらも天において復活の栄光の内にあるはずだ、という立場もありえるのではないでしょうか。
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■10945 / inTopicNo.41)  Re[33]: プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/11(Thu) 12:41:14)
    勿忘草さん レスありがとうございます。

    >>https://youtu.be/PxDTY_9w6ws

    > なぜ「主の昇天」は重要なのかということですが、そういえば今まで十字架までの
    > ことは、注意深く読んでいましたが、復活して昇天するところには、あまり気にすることはなかったように思います。

    復活・昇天があるからこそ、十字架に重要な意味がある。逆に、十字架があるからこそ、復活・昇天に重要な意味がある、のだと思います。

    > ギリシア的なプラトンのイデアのように魂が抜けだして天に上ったのではなく、ユダヤ的に肉体そのものが昇天したのだということでした。
    >
    > 「それが意味することは、この地上の現実を天の次元に翻訳することです」

    そうですね。より正確にいうと、「天の次元に翻訳」された肉体の昇天です。地上の肉体そのまんまが復活・昇天するのでないことは、先の講義の通りでしょう。栄光化された永遠不滅の復活の体に変容した。復活前の身体と復活後の身体に同一性はあっても、そこにはジャンプがある。


    そうだ、大乗仏教的には、色身と法身が類似性をもっているかもしれません。

    > それは天国を地上に持ち込むことなのだと。
    >
    > イエス様の復活、霊の再生は生ける肉のために起こるので、聖霊を下降させ、天国のように私たちの中で地球に君臨する神の意志をもたらすためなのかなと思いますが如何でしょうか。

    宇宙や地球がすべて神の意志によっていることは聖書的な世界観の当然の前提ではないでしょうか。イエスの身体の復活は、人間そのものを三位一体の交わりという天の次元に運び上げ、天と地を一つにすることではないかと理解しています。三位一体の神が地に降りてくることで一つになるのですが、天を劣化させ無内容にすることで地と一つにするのではなく、天の完全性をそのままで地と一つになる。だからこそ、人智を超えた神秘としか言いようがないのですが。
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■10944 / inTopicNo.42)  Re[32]: プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/11(Thu) 09:48:42)
    knowing itselfさん、おはようございます。

    そういえば聖母マリア様は、どうなってしまったのでしょうか。

    マリア様はイエス様が十字架に架けられて処刑される場面でその様子を見にきていました。

    その後、イエスは亡くなる前に弟子の1人であるヨハネに母マリア様の世話を任せ、
    息を引き取っていきました。

    聖書に書かれているマリアの記述はここまでですが、マリア様は生涯を終える際に昇天したという伝説があります。
    もしこれが本当なら、マリアは死を経験せずに天に昇ったということになりますね。

    でも、これって本当の話なのでしょうか。

    イエス様が昇天したのは、三位一体の神なので、まだ何となく分かるのですが、
    マリア様までというのは、聖書にも書かれていないし、第一十字架のあと復活の場面にも全くと言って登場してきません。

    確かにイエス様の最期を見届けるために十字架の現場にいたのは分かるのですが
    3日後に、全くいなかったといのは不自然な気がします。

    むしろ、いの一番に駆け付けるのではないのかなと思うのですが如何でしょうか。
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■10924 / inTopicNo.43)  Re[32]: プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/10(Wed) 19:36:24)
    knowing itselfさんこんばんは。
    毎回、新たな視点を与えてくれて感謝いたします。

    > https://youtu.be/PxDTY_9w6ws
    >
    > これは以外に感じる人も少なくないかもしれないが、こちらが通説か。

    なぜ「主の昇天」は重要なのかということですが、そういえば今まで十字架までの
    ことは、注意深く読んでいましたが、復活して昇天するところには、あまり気にすることはなかったように思います。

    ギリシア的なプラトンのイデアのように魂が抜けだして天に上ったのではなく、ユダヤ的に肉体そのものが昇天したのだということでした。

    「それが意味することは、この地上の現実を天の次元に翻訳することです」

    それは天国を地上に持ち込むことなのだと。

    イエス様の復活、霊の再生は生ける肉のために起こるので、聖霊を下降させ、天国のように私たちの中で地球に君臨する神の意志をもたらすためなのかなと思いますが如何でしょうか。
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■10922 / inTopicNo.44)  プラトニズムとキリスト教の違い
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/10(Wed) 19:03:26)
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■10902 / inTopicNo.45)  Re[30]: 身体の復活
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/09(Tue) 19:24:01)
    knowing itselfさん こんばんは。
    > https://youtu.be/Nz3bO2U7_so

    聖地イスラエルイエスの墓のご紹介ありがとうございます。

    へぇーっ、ここが、イエス様のお墓だったところなのですね。
    これを見ただけで祝福.いつか私たちがそこに行って見る余裕ができたらいいのに。
    アーメン。

    それにしても、knowing itselfさんは、いろんな事をご存じなのですね。



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■10901 / inTopicNo.46)  Re[29]: 身体の復活
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/09(Tue) 19:08:48)
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■10900 / inTopicNo.47)  Re[28]: 身体の復活
□投稿者/ knowing itself -(2021/02/09(Tue) 18:51:08)
    勿忘草さん こんばんは

    >>https://youtu.be/Emyz5FV-S0k

    二つのポイントがあるといっていますね。一つは、復活は地上の生存に戻ることではない。それだとまたいずれ死ぬことになる。そうではなく、ニューモードオブイグジステンス。栄光化された復活の体として永遠に生きる次元に入った。二つ目は、復活はSoulではなくBodyに起こった。


    > この「身体の復活」の中で「彼らは入って、死体を見つけれなかった」と言うことですが、4つの福音書の記述をみても、イエス・キリストの復活した場面を目撃した者は誰も記されていません。

    イエスの弟子以外にはいませんが、弟子は目撃しているのではないでしょうか。

    > 遺体がなく空になった墓の記述と、イエス・キリストが復活した後、多くの弟子の前に現れたことが記されているのみであるために、とても矛盾に満ちています。

    復活の体は墓や石を通り抜けることができる。生物体の蘇りではそれはありえない、ということだと思います。キリストの体と、信仰のある弟子の体に同時に起こったということかもしれません。

    > この矛盾は、復活が歴史的事実ではなく信者の心のなかにキリストがとどまりその印象が強化されたことを意味しているだけで復活の記述はこの信仰の表現として創作されたのでしょうか。

    復活はあくまでもキリストの身体に起こったというのが、ビデオの主張だと思います。


    > けれども、復活したラザロも、その後自然の死を迎えたのであり、罪と死に対する勝利をもたらす唯一の復活である、十字架につけられたキリストの復活とは次元が異なるのかなと思います。

    これがビデオで解説された第一のポイントですね。

引用返信/返信 削除キー/
■10889 / inTopicNo.48)  身体の復活
□投稿者/ 勿忘草 -(2021/02/08(Mon) 21:04:30)
    knowing itselfさん こんばんは
    >
    >
    > https://youtu.be/Emyz5FV-S0k
    >
    > キリストの復活した体については、この解説が的確だと思います。
    > 教派を超えた学問的な研究を踏まえていて、どのキリスト教的な立場にも通用するでしょう。わずか五分です。ぐちゃぐちゃしたのを読んだり聞いたりするより手取り早いですね。

    この「身体の復活」の中で「彼らは入って、死体を見つけれなかった」と言うことですが、4つの福音書の記述をみても、イエス・キリストの復活した場面を目撃した者は誰も記されていません。

    遺体がなく空になった墓の記述と、イエス・キリストが復活した後、多くの弟子の前に現れたことが記されているのみであるために、とても矛盾に満ちています。

    この矛盾は、復活が歴史的事実ではなく信者の心のなかにキリストがとどまりその印象が強化されたことを意味しているだけで復活の記述はこの信仰の表現として創作されたのでしょうか。

    けれども、復活したラザロも、その後自然の死を迎えたのであり、罪と死に対する勝利をもたらす唯一の復活である、十字架につけられたキリストの復活とは次元が異なるのかなと思います。




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