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■10327 / inTopicNo.61)  現象
  
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 20:34:30)
    悪魔ちゃんへ

    >『わたしたちに与えられる最初のものは現象であり、この現象がわたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。・・・<

    wikiから原文のページに飛べるので、該当箇所みてみたよ。多分、

    『Das Erste, was uns gegeben wird, ist Erscheinung, welche, wenn sie mit Bewußtsein verbunden ist, Wahrnehmung heißt, 』

    だと思う。

    グーグル翻訳にかけると、
    『私たちが最初に与えられるのは、意識と結びついたときに知覚と呼ばれる外観です。』
    って変換されたよ。


    現象と訳されてるのは、Erscheinungという単語だと思う。
    ネットのドイツ語辞典では『外観、外見、出現、現れ、現象、幻、風貌、幻影、見た目』という意味がのってたよ。

    pipitの感覚では、カント文のこの箇所については、物自体に触発されて現れるもの、みたいな感覚じゃないかなと思ってる。

    wikiで現象についてみてみたけど、哲学者で、あるいは文脈で、変わってくる可能性のある単語かもと思ったよ。

    wikiより抜粋引用するね。
    『現象(略)は、次のようにいくつかの意味で用いられている。

    人間の知覚できる、すべてのものごと[1]。人間界や自然界に、形として現れるもの[2]。
    (人にとって)見えるもの、つまり(外面的な)《現れ》のこと。出来事を、それが存在するかどうか、本当かどうか、といった、その見える<<現れ>>の背後にあるものは問題にせずに、その観察された<<現れ>>として扱うとき、それを「現象」と呼ぶ。対義語は本質。
    (略)
    近世の経験論のバークリーにおいては、観念や感覚所与を現象とみなして、現象主義に近い方向でそれを論じた。

    ヒュームは懐疑論的にとらえ、客観性とは繋がり得ないと見なした。

    カントにおいては、現象は物自体と対比され、物自体と主観との共同作業によって構成されるものと考えた。別の言い方をすると、現象というのは物自体に主観の構成が加わった結果のものであるとし、人は現象が構成される以前の物自体を認識することはできない、とした。

    ゲーテは、「原現象」という名によって、学問的現象などの基底にある根本現象を呼びわけた。また一方で「現象の背後に何も探求してはならない。現象自体が教師なのだ」とも述べた。

    ヘーゲルにおいては、「本質は現出する」と言われ、“「本質」は「現象」となることによってのみ存在する”とも言われた。

    フッサールは、哲学や諸々の学問に確実な基礎を与えることをもくろみ、意識に直接的に現れている現象を直観し、その本質を記述する方法を追求した。そのために彼は、外界の実在性について判断を中止し(=エポケー)、それでもそのあとに残る純粋意識を分析し記述する、という方法を採用した[3]。この場合、フッサールは現象について、本体などの背後にあるものとの相関については想定しない[4]。( → 現象学)』

    wikiの記述にも賛否両論、いろんな意見がありそうな気もするけどね。カント哲学の解釈はよく割れてる印象あるし。

    とりあえず原文探したよ!

引用返信/返信 削除キー/
■10326 / inTopicNo.62)  ロボちゃんたち
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 17:42:17)
    どのロボちゃんたちも、めちゃ、かわゆい。(煩悩)

    かわゆいロボちゃんたち、人を傷つけて欲しくない(欲)

    大量殺人、に、使われる、可能性。。。。。。
引用返信/返信 削除キー/
■10325 / inTopicNo.63)  Re[36]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 17:36:42)
    カントの考えてることを悪魔ちゃんと一緒に考えるには、下記のわたしの質問へ悪魔ちゃんが答えてくれたことから、話し合ってみるといいかもしれないと思ってるよ。



    >問題の焦点は、【最初に感じてるもの】ということについてだと思うよ。

    悪魔ちゃんは、例えば、イチゴと名づけ得るものを見たとき、
    【悪魔ちゃんが最初に感じてるもの】は色と名づけ得る対象だと思う?イチゴと名づけ得る対象だと思う?

    網膜に何か(光の波?)があたって、色というクオリアが現れる。としたら、、、

    最初に悪魔ちゃんが知覚する対象は、名付けるなら【何】と思ってるの?<
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■10324 / inTopicNo.64)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 17:34:20)
    No10323に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > カントの文章の初版の演繹論の抜粋ありがとうございます。
    >
    > >『わたしたちに与えられる最初のものは現象であり、この現象がわたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。・・・<
    > からわたしつまずいちゃうよ。
    > カントにおいては、
    > 〈わたしたちに与えられる最初のもの〉を「現象」ってしてるのね?
    > そして、「この現象(わたしたちに与えられる最初のもの)が、わたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。」っていうことになるのね?
    >
    > でね、
    > 現象(わたしたちに与えられる最初のもの)が意識と結びつく、っていうことはカントにおいてどういうことになるのかしら?
    > 「現象(わたしたちに与えられる最初のもの)」は、「意識」とは別もの、って見てるのかしら?<


    こんばんは。ちゃんとわからないんやけど、ここはとりあえず、物自体ではない、ということを表言したくて、現象という言葉を使ったんじゃないかな?と勝手に推測してるよ。

    カントはわりかし、言葉をその場に合わせて使用しちゃうことがあるみたい。

引用返信/返信 削除キー/
■10323 / inTopicNo.65)  Re[34]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/03(Sun) 17:25:56)
    カントの文章の初版の演繹論の抜粋ありがとうございます。

    >『わたしたちに与えられる最初のものは現象であり、この現象がわたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。・・・<
    からわたしつまずいちゃうよ。
    カントにおいては、
    〈わたしたちに与えられる最初のもの〉を「現象」ってしてるのね?
    そして、「この現象(わたしたちに与えられる最初のもの)が、わたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。」っていうことになるのね?

    でね、
    現象(わたしたちに与えられる最初のもの)が意識と結びつく、っていうことはカントにおいてどういうことになるのかしら?
    「現象(わたしたちに与えられる最初のもの)」は、「意識」とは別もの、って見てるのかしら?


引用返信/返信 削除キー/
■10322 / inTopicNo.66)  Re[33]: ロボちゃんたち
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/03(Sun) 17:03:38)
    『Do You Love Me ?』
    わたしあなたをLoveの対象としないよ。
    ダンス、お上手ね。すごいじゃん!
    この映像、私が作った機械のテクをそう思わせようという手口みえみえね。
    ダンスしてるその物に聞いてみたい。あなたダンスしててたのいしい?ってね。
    たのしいのはその物を作った人だけなのかも?

    ロビくん
    質問に答えられること、できることは、ロビくんを作った人のできる範囲内のことだけでしかない。「ロビくん、煙出てるよ。」に対して、何も反応しないロビくん。それを買って相手に話しかけてる人、なにを欲してるのかしら?




引用返信/返信 削除キー/
■10318 / inTopicNo.67)  ロビくん
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 11:12:29)
    https://youtu.be/i0uguBhs6JE

    とてもかわいい、ロビくんの動画

    「ロビくん、煙出てるよ。」

    日本製のロボットはかわいらしいものが多い印象があるな〜(o^^o)
引用返信/返信 削除キー/
■10317 / inTopicNo.68)  ボストンダイナミクス社のロボちゃんたち
□投稿者/ pipit -(2021/01/03(Sun) 10:59:15)
    https://youtu.be/fn3KWM1kuAw
    『Do You Love Me ?』
    Boston Dynamics社のロボちゃんたちがいっぱい出てきます♪

    最近の動画は可愛らしくなったなぁ。(昔はちょっと怖かった印象が(^^;))
    願・平和。
    ロボちゃんたちが、兵器として使われることなど、ロボちゃんたちの寿命が終わるまで、一度たりともありませんように☆彡
    (出自は例え軍事目的だとしても。。。)
引用返信/返信 削除キー/
■10313 / inTopicNo.69)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/02(Sat) 21:23:52)
    2021/01/02(Sat) 21:35:09 編集(投稿者)

    悪魔ちゃんへ
    こんばんは。

    > これによると。「感官そのものには像を形成する能力」をカントは認めてない、ってわたしには受け止められるんだけど「像を形成する能力」が「知覚」にはあるのかないのか、そこらへんはカントはこう言ってるっていう御子さんのはどうなのかし?<


    カントの文章としては、初版の演繹論には、
    『わたしたちに与えられる最初のものは現象であり、この現象がわたしたちの意識と結びつくと、知覚と呼ばれるようになる。(略し)すべての現象には多様なものが含まれるために、わたしたちは心の中でばらばらな個々の知覚に出会うことになる。こうした[ばらばらな]知覚を結びつける必要があるが、感性のうちには、その結びつきをみいだすことはできない。だからわたしたちのうちで、多様なものを総合する別の能力が活動しているはずであり、これを想像力と呼ぶのである。そして想像力がさまざまな知覚において直接にはたらくことによって生まれる働きを把握と名づける(注)。想像力は、直観のうちに含まれる多様なものを一つの形象にしあげるのである。ただしそのために想像力はまず、さまざまな印象をみずからの働きの中に取り込んでおく、すなわち把握しておく必要があるのである。』
    『ただしこの[想像力によって]多様なものを把握する働きだけでは、いかなる形象も、さまざまな印象の結びつきも作り出すことができないのは明らかである。
    [だからこの想像力の印象を総合する働きとは別に]心がある知覚から別の知覚に移行したときに、それまでの知覚を後につづく知覚へと伝達して、全体の知覚の系列を作りだすことのできる主観的な根拠が必要なはずである。これが想像力の再生の能力であって、これは経験的な能力であるが、これなしではいかなる形象を作りだすこともできなかったはずである。』
    中山元先生訳、同本p225〜227(A120.121)

    上記引用文中の(注)の、カント自身の記した注釈文として、
    『(注)このように想像力は知覚そのものを構成する不可欠な要素なのであるが、心理学者たちはこのことに思い及んだことがなかった。[心理学者たちがこのことを考えなかったのは]想像力というのはたんに再生の働きだけをするものだとみなしたからである。それだけではなく、感覚能力は印象をもたらすばかりか、さまざまな印象を合成することができ、これが対象についての形象までもたらしてくれると考えたからでもある。しかしそのため[すなわち形象を作りだすため]には、印象を受容する能力[すなわち感覚能力]だけではなく、それ以上の能力、すなわちさまざまな印象を総合する能力[すなわち想像力]が必要なのである。』同本p226より引用。

    とあるね。この文章からは、カントは感覚能力だけでは形象を作りだすのは無理で、感覚能力に想像力が加わわらないと形象を作りだせないと言ってる、と読めるね。

    > >カント哲学は別として、個人的に言えば、感じた時点で対象として感じてる可能性もあるとは思ってるよ。生命の能力は計り知れないところがあるかもと思ってる。<
    > これ、自然的だと思うよ、わたし。
    > わたしにおいて”感じているもの”を「対象」っていうの。この感じてる対象を”思・考する”んじゃない?だから”感じているもの”がないと”思・考する”ことも発動しないのね。<

    うん。
    問題の焦点は、【最初に感じてるもの】ということについてだと思うよ。

    悪魔ちゃんは、例えば、イチゴと名づけ得るものを見たとき、
    【悪魔ちゃんが最初に感じてるもの】は色と名づけ得る対象だと思う?イチゴと名づけ得る対象だと思う?

    網膜に何か(光の波?)があたって、色というクオリアが現れる。としたら、、、

    最初に悪魔ちゃんが知覚する対象は、名付けるなら【何】と思ってるの?



    >じゃどうして私はそれを対象としたのか、どうしてわたしはそれを対象として感じたのか、それが「自発性」とか「触発」とか「志向性」っていってるんじゃのかしら?<

    指向性が対象を生成してる場合もありそうだよね。

    > 「私」は「ロボット」じゃない。ロボットは「人」が「ヒト」を模倣して作ろうとしてる、ってすると「人間」そのものを知ろうとすること、が前提となってるんじゃない?<

    ロボットを研究すると、結局は生命の探究になることは起こりがちなことだと思うよ。

    >コンピュータってすごいとおもうけど、結局人間のうちでのできごとでしかないかしら?<

    人間の思考から生まれてるからね。


    >あ、”そこ”に熱意をもって取り組んで入る人には頑張ってもらいたいとは思うんだけ。おそらく今の科学的技術ではクローンヒトを作り出すことは可能だと思う。ただ自主規制として倫理的に、そうことはやめましょ!っていうことになってるんだと思う。ってすると、問題なのはやっぱ「私とはなにか?」かな?<

    わたしはまだまだ無理だと思ってるけど、ロボットに心を生じさせたいと思ってる研究者もいるだろうね。



    > 「原子力発電」ってあるよね。これ”何のうちで”存在することになったのかしら?<

    人間の思考が作り出したね。

    > ごめん。わたしのを書いちゃった。
    >
    > あ〜、わたし「感性的直観」が問題だったのね。
    > これについてはまたいつか。<

    うん。
引用返信/返信 削除キー/
■10311 / inTopicNo.70)  Re[29]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/02(Sat) 19:32:09)
    >『(3)カント自身、『純粋理性批判』で、構想力に産出的能力を見出したことに、自身の独自性を主張しています。従来の心理学者は、一方で構想力を再生の能力として限定して考え、他方で感官に像を形成する能力を認めました。それに対して、カントは、構想力に生産的な能力を認め、感官そのものには像を形成する能力を認めないのです。』(『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著より引用)<
    これによると。「感官そのものには像を形成する能力」をカントは認めてない、ってわたしには受け止められるんだけど「像を形成する能力」が「知覚」にはあるのかないのか、そこらへんはカントはこう言ってるっていう御子さんのはどうなのかし?

    なんかややこしいね。pipitさま、カントが書いた本(訳本でも)持っていて読んでるんでしょ?>『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著<は”カントの”じゃないよね?”おんこさんのカントの”だよね。

    >カント哲学は別として、個人的に言えば、感じた時点で対象として感じてる可能性もあるとは思ってるよ。生命の能力は計り知れないところがあるかもと思ってる。<
    これ、自然的だと思うよ、わたし。
    わたしにおいて”感じているもの”を「対象」っていうの。この感じてる対象を”思・考する”んじゃない?だから”感じているもの”がないと”思・考する”ことも発動しないのね。じゃどうして私はそれを対象としたのか、どうしてわたしはそれを対象として感じたのか、それが「自発性」とか「触発」とか「志向性」っていってるんじゃのかしら?

    「私」は「ロボット」じゃない。ロボットは「人」が「ヒト」を模倣して作ろうとしてる、ってすると「人間」そのものを知ろうとすること、が前提となってるんじゃない?コンピュータってすごいとおもうけど、結局人間のうちでのできごとでしかないかしら?あ、”そこ”に熱意をもって取り組んで入る人には頑張ってもらいたいとは思うんだけ。おそらく今の科学的技術ではクローンヒトを作り出すことは可能だと思う。ただ自主規制として倫理的に、そうことはやめましょ!っていうことになってるんだと思う。ってすると、問題なのはやっぱ「私とはなにか?」かな?

    「原子力発電」ってあるよね。これ”何のうちで”存在することになったのかしら?

    ごめん。わたしのを書いちゃった。

    あ〜、わたし「感性的直観」が問題だったのね。
    これについてはまたいつか。



引用返信/返信 削除キー/
■10306 / inTopicNo.71)  Re[28]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/01(Fri) 22:30:26)
    >わたしいまだに「統覚」と「直観」をどう分節しようかと思案中〜。<

    ここは悪魔ちゃんがどう考えるかは難しそうだね。

    カントは、多分、機能としては、考える、と、感じる、で機能としては分別してそうだけどね。
    カントの思考は、ロボット工学的なんじゃないかと感じる時があるよ。
    インプットとアウトプットをドライに区別してる感じ。
    カントとしては、統覚は考える能力(アウトプット)、直観は感知する能力(インプット)で、インプットだけではなんの対象もアウトプットできない、と考えてるんじゃないかなーと、今の段階では思ってるよ。

    御子柴善之先生の本のp194の注釈を引用するね。
    『(3)カント自身、『純粋理性批判』で、構想力に産出的能力を見出したことに、自身の独自性を主張しています。従来の心理学者は、一方で構想力を再生の能力として限定して考え、他方で感官に像を形成する能力を認めました。それに対して、カントは、構想力に生産的な能力を認め、感官そのものには像を形成する能力を認めないのです。』
    (『カント純粋理性批判』御子柴善之先生著より引用)

    ロボットのセンサーには、色なら色の感知しかできない。そこから何か対象を認識するには、インプットされた色をプログラムにより加工して対象をつくらなければいけない、ってイメージをわたしは持ってしまってるよ。でも、このカントに対するpipitのイメージは行き過ぎかも。カントはそんなことは考えてないかも。わからない。

    カント哲学は別として、個人的に言えば、
    感じた時点で対象として感じてる可能性もあるとは思ってるよ。
    生命の能力は計り知れないところがあるかもと思ってる。


引用返信/返信 削除キー/
■10301 / inTopicNo.72)  Re[27]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/01(Fri) 21:58:49)

    悪魔ちゃんの引用してくれた文章の中で、

    >その後、感性的直観の多様が悟性により結合される場合の、統一を形成する主観の根源的働きを「統覚」と呼んだ。<

    とあるけど、感性的直観の多様、という状態を作り出すのがApprehension、
    「統覚」はApperzeption、とカントは記述してるのではないかと、今の時点では思ってます。
    間違えてたらごめん!
引用返信/返信 削除キー/

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