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■10760 / inTopicNo.25)  演繹論を読むための準備
  
□投稿者/ pipit -(2021/01/31(Sun) 14:55:29)
    カントは、判断とは対象を概念へ包摂する働きであり、この働きを悟性と言ってると私は今のところ思っています。

    さて、正しい、と、正しくない、について。

    正しい、と、判断するときは、二つ像がいりますね。
    対象、と、正解像。
    この二つを使って、対象を正しいと判断する。

    ここで、カントの認識論の大枠。
    感性により感じたものを、悟性により把握する。
    思考(概念で整理する動き)は、全部、悟性に担わせている。

    つまり、正しい、正しくない、は、思考の働きに分類されて、
    感じたものは、正否の領域にあるものではないということだと思っています。

    ここで孫引きになって申し訳ないけど、カントの文章を引用します。
    『仮象は感官の責任ではなく悟性の責任である。現象に基づいて客観的な判断を下すのは、ひとり悟性である。(Ak291、中公65、岩波85)』
    (『カント哲学の核心『プロレゴーメナ』から読み解く』御子柴善之先生著、p105より引用)


    もし、あなたが、わたしが、アンドロイドだとして、
    感官によって得られる主観的データは、ただ一つ。
    それが、直観という場に現れた、カント的な『現象』なのかな、と、今のところ思っています。

    主観的には正しいも正しくもない、得られるのは、そのデータ、ということがあるのみ。

    その主観的データ、から、【『知る』の対象】を如何に規定(創造、とまでいうと言い過ぎなのかな?)していくのか?
    また、その主観的データ自体も既に規定が入っているのか?

    そういうことも考えていたのがカントだと思っています。

    とりあえずここまでを投稿します。







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■10602 / inTopicNo.26)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/17(Sun) 23:33:13)
    こんばんは。

    お好きなように探究してくださいな (o^^o)

    おやすみ〜 ☆彡
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■10591 / inTopicNo.27)  Re[61]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/17(Sun) 19:27:01)
    pipitさま、かんとの、についてわたしのうちではおかげさまでひと段落かな?

    ちょっとわたしのを書かいちゃうね。

    わたしの主題は「私ってなあに?」なのね。

    で、たまたま現象学に出会ってそのフィロソフィア知りたいな〜、って思ったのね。
    フッサールは【フッサールが自分自身を理解するのに長い時間を要した問題はない、――また、この問題ほど彼が繰り返し繰り返し問い直した問題もない】ってメルロは『知覚の現象学』のなかで言ってる。この「自分自身」っていうのわたし、「私」ってしてる。この「私」への問いは【アウグスティヌスは次のように言っている。「外に行こうとしないで、汝自身のうちに帰れ、真理は人の内部に宿っている】っていうフッサールの『デカルト的省察』の最後の方に書かれてあるところからうそう思うのね。このところの訳注で〔古代ギリシア、デルポイの神殿の玄関の柱に刻まれていたという言葉で、(神が人間に向って)「身のほどを知れ」(自分が死すべき存在であることを忘れるな)という意味の格言と解かれていた。しかし、(プラトンの描く)ソクラテスは、それを「自分の無知を知」り、「自分の魂を配慮」し、いかに生きるべきかを考察することを命じる要求と捉えた。いまそれをフッサールは、普遍的な自己認識の道こそが哲学の道である、という意味と解しようとしている。〕ってあるの。

    少しだけわたしの現象学のを書いて見たけど、パニチェさんが〈私〉を問題としてる見たいじゃん?あながち関係なくはないかな〜て、思って。

    フッサールの『デカルト的省察』やメルロの『行動と構造』『知覚の現象学』のなかにはカントのについてのがいっぱい出て来てて、カントのをわたしもそれないりにいろいろ調べているんだけど、pipitさまとのやりとりのなかで、おおよそのが見えてきた感じ。ありがと。
    カントのと現象学のとはおもしろくならなそうだからこういうのはやめとく。

    でね、いまね、ニーチェの『善悪の彼岸』もう一度読み返して見てるの。いま読ん見るとこの本のなかで、カントのについて、ニーチェのをはろいろ書いていてあったのね、「物自体」とか「仮象」とか言ってるじゃん、って、わたし、知ったの、初め読んだときにはわたしスルーだったっていうことに気づかされちゃった。

    ここ、ニーチェクラブっていうとろ見たいだから、これからはカントのとニーチェの「わたし」についてのお話でここにこさせてもらおうかな?て。




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■10575 / inTopicNo.28)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/16(Sat) 19:58:31)
    私の勉強にもなってるよ、いつもありがとう(^ ^)
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■10572 / inTopicNo.29)  Re[59]: pipitさまへ
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/16(Sat) 17:39:49)
    ■10556、10558、ありがとうございます。
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■10558 / inTopicNo.30)  Re[58]: 悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/15(Fri) 22:15:33)
    >このなかで[=悟性]ってあるけど、これって、訳者の挿入?<

    「知性」と訳したけど、伝統的には悟性と訳されてた原語だとわかるように記述されたのかもしれないね。

    中山先生のこの箇所の注釈を引用します。
    『(6)ここで「知性」と訳した語は、通常は「悟性」と訳される。理解する(フェアシュテーエン)からカントが作り出した名詞フェアシュタントの訳語である。(略)』
    『純粋理性批判1』p248より引用


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■10556 / inTopicNo.31)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ pipit -(2021/01/15(Fri) 22:05:45)
    こんばんは。

    > >人間の認識には二つの〈幹〉があることを指摘しておくだけで十分であろう。この二つの〈幹〉とは感性と知性[=悟性]であり、これらはおそらく、まだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである。感性によって、わたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考されるのである。<<

    中山元先生が、『知性[=悟性]』と日訳した単語は、原文では、『Verstand』だと思います。
    『Verstand』は、悟性と訳されることが多い印象があるけど、時々、知性と訳されてる気もします。

    英訳では、『Verstand』は、『understanding』と訳されてるのを見ます。
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■10551 / inTopicNo.32)  Re[56]: 感情
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/01/15(Fri) 19:25:45)
    pipitさま、わたしのいろいろなリクエストに応えてくれてありがと!

    No10498で引用してくれた
    >人間の認識には二つの〈幹〉があることを指摘しておくだけで十分であろう。この二つの〈幹〉とは感性と知性[=悟性]であり、これらはおそらく、まだわたしたちには知られていない一つの共通の〈根〉から生まれてきたものである。感性によって、わたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考されるのである。<
    で、なんかカントの見えてきた感じ。

    もうちょっとリクエストね。
    このなかで[=悟性]ってあるけど、これって、訳者の挿入?
    それと、「人間の認識」ってあるけど、カントのばあい「認識」ってどういう意味で使ってるの?
    あ、これ、気が向いたら、でいいです。「感情」って呼んでるものがpipitさまのなかに浮かんできたみたいだから、わたしの問いがちょっと問いが広がっちゃだけみたから。

    ちょっとわたしのを書くね。
    No10545
    >感情は少なくとも、カント的には現象ではないと思ってるんだけど<
    わたしもそう思うよ。カントにとっての「現象」は〈正しい現れ〉見たいだから。
    「感情」っていうの、カントのいう「表象」の射程圏外だと思う。
    それと、「感情」っていうの、そもそも「難問」っていう「問い」じゃないと思ってる。

    何言ってるのかわかんないかもしれないけど、
    わたしね、デカルト、カント、ニーチェって知的感情が豊かって見てるの。だからわたしの好み。このごろのいちばんはメルロ。



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■10545 / inTopicNo.33)  感情
□投稿者/ pipit -(2021/01/14(Thu) 23:04:13)
    あ、感情のこと忘れてたな。。。


    難問でてきた。。。。


    感情は少なくとも、カント的には現象ではないと思ってるんだけど。。。


    表象に入るのかなぁ入らないのかなぁ、どうかなぁ




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■10543 / inTopicNo.34)  何故、前、という言葉を使ったのか
□投稿者/ pipit -(2021/01/14(Thu) 22:36:00)
    悪魔ちゃんが引用してくれた中ちゃん先生の文章の中に

    『日本語では区別がはっきりしないが、ドイツ語の“Erscheinung”(現象)と“Vorstellung”(表象)との区別は明確であり、前者は何ものかの現れという自動詞の名詞化であるが、後者は私が私の前に何ものかを立てるという他動詞の名詞化である。』

    とあったし、前に読んだ冨田先生の表象に関する文章の記憶があったから。

    『カント入門講義』冨田恭彦先生著、ちくま学芸文庫、p95より引用
    『「表象」のもとのドイツ語は'Vorstellung'(フォーアシュテルング)です。'Vor-'(フォーア)は「前に」、'stellung'(シュテルング)は「置かれたもの」を意味します。ですから、「フォーアシュテルング」というのは、「前にあるもの」のことです。何の前にあるかというと、私たちの心の前です。というわけで「表象」は、心(意識)の対象となっているもの、意識に現れているものを意味します。』
    引用終了

    カント哲学は解釈が多々ある印象だから、◯◯先生はこのように解釈している、違う解釈もあるかも、と、pipitは念のために思うようにしてます。


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■10540 / inTopicNo.35)  Re[53]: 悪魔ちゃんへの質問
□投稿者/ pipit -(2021/01/14(Thu) 22:18:31)
    No10534に返信(pipitさんの記事)
    > こんばんは。
    >
    > 悪魔ちゃんの前に現れるもので、
    >
    > 見られたもの
    > 聞かれたもの
    > 嗅がれたもの
    > 味あわれたもの
    > 触れ感じられたもの
    > 思考されたもの
    > 空想されたもの
    >
    > 以外のものは、ありますか?<

    悪魔ちゃんの 前、という表言がしっくりこないんだったら、

    悪魔ちゃんの 内、という言葉に置き換えて、考えてもらえればいいよ。

    それもしっくりこないときは、また、いろいろお話ししてみる?
    自由にしてね(^ ^)

    おやすみ〜☆彡
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■10539 / inTopicNo.36)  統覚
□投稿者/ pipit -(2021/01/14(Thu) 22:08:56)
    悪魔ちゃんへ

    カント的統覚については、まだ興味ありますか?

    興味あるなら、カントの文章を探して引用しようと思います。

    知りたいポイントがあるなら、教えてもらえれば、探せるものなら探してみます。

    わからなかったらごめんなさい。

    おやすみなさい(^ ^)
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