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■10446 / inTopicNo.1)  お後が宜しいようで
  
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/11(Mon) 09:00:51)
    お後が宜しいようで
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■10443 / inTopicNo.2)  告知
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/11(Mon) 07:00:35)
    新型コロナの影響で一旦中止となった新国立劇場、「ニューイヤー・バレエ」ですが、本日1月11日に限り、無観客公演を行い、facebook、youtubeで無料配信されることになりました。
    詳しくは以下のページで。

    https://spice.eplus.jp/articles/281246

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■10436 / inTopicNo.3)  Re[66]: 3という数字
□投稿者/ ディディモ -(2021/01/10(Sun) 23:00:28)

    >1.「公現祭」ですが、この意味はなんですか?
    単に東方の三博士がジーザス家に訪れお茶を飲んでいったというお話(爆)ではなくて、イエスの形を借りて主が公現したことを三博士によって確認された日ということですか?<


    言葉の意味ということであれば、公現あるいは顕現は(英国等の聖公会では顕現という言葉の方を使っているそうです。宗教祭に使う場合は両方同義)原語のギリシャ語で言えば「エピファーニ」です。その原意は突然起きる激しい覚醒感・・・ああ、そうだったのか!と、目覚めるような・・激烈な感覚をいうそうです。目覚めといえば、梵語の「Buddha ブッダ」は(真理に)目覚めた人、覚者の意ですから・・見性とか悟りに至った時の感覚に近いのか知らん・・と、これはいま突然思い付きを口にしました。(^0^) 一神教に戻って・・神に出会った時のことを「神の顕現」と表現しますね。と言うことは「エピファーニ」はやはり宗教的なものであって、特にキリスト教の回心(conversion)の時なども(パウロの回心が有名です・あるいはミラノでのアウグスティヌスの例も)それに近い意識・境涯であるのかも、ですね。
    ただ、オリエントの歴史好きであれば、エピファーニ(顕現)という言葉は公現祭よりも、シリアのアンティオコス4世エピファーネスの名を思い浮かべる筈です。この王は若いころにローマで教育を受けてヘレニズム文化の絶対的信奉者になり、ユダヤ人を徹底的にヘレニズム化しようとしました。エルサレムの神殿を占領し、そこにゼウスの像を建て、ユダヤ人が忌避する豚を神に捧げるようなことまでやらかしました。またユダヤ人の律法を禁止し、当然割礼も禁止し、従わない者を徹底的に弾圧し女も子供も殺戮しまくりました。この王の名前をそのまま読むと「アンティオコス家の顕現王」ということになります。しかし当時のユダヤ人たちはエピマーネス(基地外)つまり狂人王と呼んでいたそうです。ことの詳細はヨセフスの「ユダヤ古代誌」に、また聖書には外典の「マカバイ記」に、このことがおどろおどろしく報告されております。

    またお尋ねが祭りの意味ということであれば・・公現祭は、元々初期の東方教会では、1月6日にイエスの生誕の日として祝っていたようですが、現代の西方教会ではそれはクリスマスの12月25日に譲り、1月6日の主旨は「東方の三博士」が幼子イエスのもとを訪れて礼拝したことを記念する日となっています。
    それで・・三博士が幼子イエスの処に来訪したことが、安気に茶を飲みながら四方山話をしたことではなく^^なぜ祝うべき事柄になるかと言うと、これ以降のカキコミは全く私見になりますが・・このことは東方の三博士、つまり異邦人が幼子イエスを礼拝したということであり・・見方を変えるとこれは救い主イエス・キリストが、異邦人に初めて顕現した日ということになります。その意味は、異邦人も救われる者となった・・ということですよ・・このことは結構重要なことです。
    ユダヤはBC5世紀の中頃にエズラ・ネヘミヤの宗教改革によって本格的な律法体制を採り、清浄潔白で純な神権政治を目指していたんですが、いわばその政策の副作用としてそうなったんでしょうが・・異邦人との婚姻を禁ずる等のことをやったため、排他主義的なともあるいは狭量な民族主義とも外からは見られるようになっていたんです。ですから当然異邦人とはぎくしゃくした関係になります。まぁそれでも異邦人との接触も干渉もなく、ユダヤ教が一民族宗教として、その内部で孤立して存在するのなら良いですが・・。しかし後には先程言ったエピファーネス4世や、さらにはローマの干渉を受けて、そうは言ってられなくなりました・・。ところがユダヤ教の中の一セクトとして出発したキリスト教の場合は、イエスの死後に使徒会議を開いて、異邦人には抵抗あるであろう・・律法にある食物禁忌と割礼の問題をクリアーにし、異邦人に対する宣教に大きく道を開いたんです。
    つまり大げさな言い方をすると・・東方の三博士の説話は、オリエントの辺鄙な一隅で産声を上げたキリスト教が、一民族宗教から世界宗教になるという、そのことの預言であり、その暗喩を含んでいる話なのではないかと私は思うんですね。・・。キリスト教史からいえば、実際は・・異邦人への伝道の成果は、パウロの三回に及ぶ地中海世界に向けての宣教旅行に因るところが大きいのですが、これはおそらく史実で、使徒書という散文の世界で表されているものです・・ですから「東方の三博士」の話のようにメルヘンチックな衣を被せていないのですね。これでは後の世に祭儀や礼典のようなセレモニーのなかに取り入れにくく、実効のあったパウロよりも「東方の三博士」の説話の方が祭儀にマッチしやすく、後に公現祭へと発展していたのではないかと・・。

    後は簡単に・・。^^;

    >2.三位一体、三博士、3という数字はキリスト教にとって特別な意味を持つものでしょうか?

    これについては田秋さんがナイスフォローしていただきました。同意です。

    >3. 映画『オーメン』にも出て来る666という数字、これは悪魔の数字として聖書にあるものですか?

    あります、「ヨハネの黙示録」13章です。ただし、7つの頭と10本の角を持つ野獣の数字もしくは名前としてですが。
    この章にるる野獣の描写が続きますが、最後の18節にその数字が現れます。解釈はご自由に。^^;黙示録は、もともと解釈の仕方によっては如何とでもとれるものですから。ちなみに、ルターもカルヴァンも黙示録は重要視していません。パウロのような特別の思想があるわけではないからです、ただキリスト教系新興宗教は大喜びします。(呵々大笑)

    【−−略ーーさらに、第一の獣の前で行うことを許された数々のしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣の傷を負ったがなお生きている第一の獣の像を造るように、地上に住む人たちに命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。】(同13章14〜18)

    >(追記)下はジョット―の絵画ですが、左側にいる光の輪をつけている人は誰でしょうか?

    これは私にも分かりません。絵画や図像についてはステルスさんが詳しいのでは?^^;


    PS マタイの本文を読み返すと、この場面の登場人物は母マリアと、義父ヨセフ、幼子イエスと、三博士、それに主の天使だけですから、引き算するとヨセフかな?
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■10435 / inTopicNo.4)  Re[65]: 3という数字
□投稿者/ flora -(2021/01/10(Sun) 21:30:07)
    田秋さん、こんにちは

    『西遊記』もそうですが、数の繰り返しというのはとても興味があります。私は宗教に事はまったく分かりませんが、キリスト教においても<<3>>という数はなんらかの意味を持つものと思います。 

    新約聖書の正典の数は27、つまり3x3x3です。ただしなぜ2や4ではなく3なのか?はいまだにわかりません。

    旧約聖書でもノアの息子たちは3人です。この3人の息子たちが私たち人類の先祖ということですよね。

    >キリスト教の3にも何か意味があるかもしれません。3人の王の行進も何故4人ではなかったのか?たまたま実際に3人だっからなのか?3人だから贈り物も3個だったのか?

    王、もしくは賢者の数は記載されていないそうです。ただし贈り物の数が3個なので3名としたのではないかということのようです。

    贈り物の内容に関しては、『イザヤ書』60:6に
    「らくだの大群が押し寄せる。ミデヤンとシェバとエファからも、ひとこぶらくだが黄金と乳香を携えて来て、共に神をほめたたえる。」
    https://www.biblegateway.com/passage/?search=Isaiah+60%3A6&version=JLB

    王への贈り物として、黄金と乳香と記され、おそらく最高の贈り物なにでしょう。イエスが受け取った贈り物には没薬(ミルラ)が含まれていますが、これは古代エジプトでは死体処理に使われていたものなんですね。不思議ですね。

    >キリストさんは3日目に復活されたそうですが、何故2日目ではなかったのか?実際に復活されたのが3日目だったからなのか?三種の神器も三種でなければならない理由があるのかもしれません。

    そうなんですね、なぜ3なのか? 三日三晩という設定には前例があるようで、『マタイ伝』の12:40に
    「つまり、ヨナが三日三晩大きな魚の腹の中で過ごしたように、メシヤのわたしも、三日三晩、地の中で過ごすからです。」

    https://www.biblegateway.com/passage/?search=Matthew+12&version=JLB

    ヨナというのは『ヨナ書』に出て来る預言者とのことですが、大魚にも飲まれ3日3晩、おなかの中にいてから生きて出てきたそうです。

    https://www.biblegateway.com/passage/?search=Jonah+2&version=NIV

    当時のユダヤ人の間では死者を三日三晩をそのままにして置き、完全に死を確認してから埋葬等をしたらしいのです。従ってイエスさんも三日以内に復活したのではないでしょうか・・・

    いずれにしても旧約にも新約にも3が何度も登場し、何等かの顕著な意味があるとは思いますが、今の時点ではそれがなぜなのか全く分かりません・・・

    何か情報がありましたならお知らせください〜。興味ありますよね!

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■10419 / inTopicNo.5)  ツィガーヌ
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/10(Sun) 08:26:36)
    2021/01/10(Sun) 09:10:35 編集(投稿者)

    おはようございます、floraさん

    ハイフェッツのツィガーヌ、素晴らしいですね。音が太くて!頑固オヤジが絶対こうだ!と言っているようです。オイストラフも聴きましたがこちらはオヤジはオヤジでも恰幅の良い京都の大店の大旦那の様(体型もそうですが音楽が)。シェリングになるともう少しオヤジ感が薄れますね。パールマンになると現代感覚になると感じました。以上、個人的な感想です。

    オイストラフ
    https://www.youtube.com/watch?v=y3ZxUF5xoKk

    シェリング
    https://www.youtube.com/watch?v=e7Mvo2kNQw4

    パールマン
    https://www.youtube.com/watch?v=K71LvN-xZlc


    ありゃ、書き込み数が96・・・どーしよー

    追記:ハンガリー舞曲のオーケストレーションの版の件ですが、たくさんのハンガリー舞曲を演奏してきましたが、違う版というのは記憶がありません。ただし新たな版を作ることは禁止されていませんからあっても不思議ではありません。

    ブラームスとクララの話はウラを取った訳ではありません。

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■10418 / inTopicNo.6)  戦争最前線
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/10(Sun) 08:02:21)
    2021/01/10(Sun) 13:06:47 編集(投稿者)

    先日受けた《現代の国際政治》という講義で、最近の戦争の形態についての話がありました。米国の例です。

    爆撃帰りのショッピング

    アフガニスタンで空爆を行ったあとスーパーで買い物し帰宅して家族と食事をする、こういうことが実際行われているのだそうです。どういうことかと言うと爆撃するのは無人飛行機、それをネヴァダにある空軍基地から遠隔操作する、というわけです。講義で写真が出ましたが、まるでゲームセンターにいるかの様でした。彼らにパイロットとしての実地訓練は必要ないのです。

    その前の講義ではコンピューターウィルスは立派な兵器になりうるという話も出ました。例えばウィルスで核燃燃料を管理するシステムに誤作動を起こさせれば、施設を空爆したにも等しい甚大な被害を与えることができます。兵器の定義を考え直す必要があります。

    講義を受講して特に感銘を受けたこと
    1.鉄腕アトムの歌詞は谷川俊太郎作だったこと
    2.《2001年宇宙の旅》に出てくるHALというコンピューター名はIBMのそれぞれ一つ前のアルファベットから作られたこと
      
引用返信/返信 削除キー/
■10415 / inTopicNo.7)  3という数字
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/10(Sun) 06:28:18)
    おはようございます、floraさん

    3という数字はキリスト教に限らず、いくつかのものをひとまとめにする時の[いくつかのもの]の代表的な数だと思います。三つくらいだと覚えやすいですね。三蔵法師、三密、平和三原則、三位一体、作曲家の3大B、三種の神器など。ウィキペディアの三大方針というのもあります。ですから表面的にだけみればキリスト教にだけ特別な意味をもたせる《3》という訳ではないと思います。

    ただそれは僕がキリスト教のことを知らないのでそう言っているだけで、例えば音楽を例にとると、ソナタ形式の元になった三部形式、これの《3》には意味があると思います。最初に主題を提示する、2番目に最初とは違うメロディ、或いはソナタ形式になると主題の展開、3番目に主題の再現、という形式ですが、3つ目の再現というところに意味があります。人は聞きなれた音に安心を覚えます。家に帰ったぞ!みたいな安心感です。メヌエットも途中トリオがあってダカーポで頭に戻った時、何故かうれしいです。

    僕は多少なりとも音楽について知っているので三部形式の3の意味を説明することができましたが、キリスト教の3にも何か意味があるかもしれません。3人の王の行進も何故4人ではなかったのか?たまたま実際に3人だっからなのか?3人だから贈り物も3個だったのか?
    キリストさんは3日目に復活されたそうですが、何故2日目ではなかったのか?実際に復活されたのが3日目だったからなのか?三種の神器も三種でなければならない理由があるのかもしれません。

    ひょっとすると《3》という数字が持つ力なのかもしれません。興味は尽きません。
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■10413 / inTopicNo.8)  Re[64]: ハンガリー舞曲
□投稿者/ flora -(2021/01/09(Sat) 20:43:52)
    こんにちは、田秋さん。

    >ブラームスのハンガリー舞曲は元々はピアノ連弾(4手)用に書かれたもので、(ウィキペディアの表現によれば)爆発的人気となりました。若い男女で弾くことを想定して時々手を交差させお互いの手が触れるように作曲したりしたようです。双方そこそこピアノが弾けるカップルって当時どのくらいいたんでしょうね。中流〜上流社会ではピアノが弾ける、ワルツが踊れるというのは一般教養の一つだったのかもしれません。ひょっとするとブラームスがクララの手に触りたかったのかも・・・

    そうなのですか?知りませんでした。ブラームスがクララと連弾したく、曲を書いたというのは説得力ありますね〜!。彼の間接的な愛の表現かも〜。

    >で、ブラームスは何曲か自分でオーケストレーションをしましたが、曲数はわずかです。凄く有名な5番もブラームス自身の編曲ではありません。註:floraさんがアップした録音の5番のクレジットにはfis-mollとあります。ピアノのオリジナルは嬰へ短調ですがオーケストラ版はト短調です。

    そうなのですか!逆説的に言えばだから私がいいと感じたかも知れません。ブラームスが苦手なので(悲)。
    オーケストラ用の編曲には決まったものがひとつあるのですか? それとも色々なヴァージョンがあるのですか?

    >長く日フィルの首席客演指揮者であったハンガリー人指揮者ルカーチ・エルヴィンはブラームスのハンガリー舞曲は振ったことがないと言っていました。理由はこれらがマジャール舞曲ではないからです。ブラームスがハンガリーの音楽だと思った旋律は、ハンガリーに住むロマ(ジプシー)の音楽だったのです。これを声を大にして主張したのがバルトーク(やコダーイ)でその影響は大きかったのです。

    マジャールというのはハンガリーの事ですね? ロマ音楽の旋律だとすると、ロマはもともとはインドのカシミア地方から移動してきたと言われていますので、ハンガリー音楽として紹介するのは語弊があるのでしょうね。 

    スペインのフラメンコなども元々はロマのものでしたね。

    >以前にも書きましたが、ラベルが「ジプシーの音楽も音楽ではないのか?」と書いたのが「チガーヌ」です。

    「チガーヌ」とはロマの事ですねね。哀愁があっていいなと・・・

    https://youtu.be/GFEJkhyPNfE

    色々とありがとうございます。

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■10412 / inTopicNo.9)  Re[63]: 公現祭
□投稿者/ flora -(2021/01/09(Sat) 18:23:44)
    2021/01/09(Sat) 18:26:11 編集(投稿者)

    こんにちは、ディディモさん、いつも色々とありがとうございます。

    >ご指摘の月食説は、Humphreys & Waddington(物理学者のコリン・ハンフリーズと天文学者のグレイム・ワディントン)の唱えた説だと思いますが・・

    彼らは1983年に{NATURE}紙に発表したと思いますが、彼らではなくてFrank Close(フランククローズ)というオックスフォード大学の理論物理学の教授が昨年の31日に同じく物理学者の2人と女性教授とラジオに出演し、その時に説明したものです。

    簡単に言えば、キリストが処刑されたのはユダヤ教の 過越の期間ですね。―過越は満月の時でなければならないのですが、 日食が起きるのは新月の時のみ、月食が起こるのは満月の時のみ、したがって過越の時期に起きたのは月食であって日食ではありえない、該当するような月食が起きたのはAD33年4月3日金曜日の夕暮れ時―とのことでした。

    私が知らなかったのは、2つの絶対条件、つまり過越の時期は満月であり、日食は新月の時以外起こり得ないということでした。 このような事実関係を考えてみますと、私自身はやはりキリストが処刑されたのは、月食が起きた紀元33年4月3日金曜日ではないかな?と感じます。

    >まぁ、これは以前に・・聖書に記されている大洪水は史実か神話か、史実であれば何処であったのか、あるいは年代は何時か?等々をフローラさんと語ったことがありますが、(ウーリィのウル発掘の話とか・・彼とT・E・ロレンスが一緒に写真に写っている、とかの話をした記憶がありますが、覚えていますか?あれはまだYa!掲示板の時代でしたから、十年以上も前になるかもです。) で・・、そこで問題となったのは聖書と史実の関係です。

    ええ、そうでしたね〜^^。 かの有名なローレンスは当時ウーリィのアシスタントで2人とも英国海軍情報局に属していたと思いました。ローレンス自身も元々は考古学者で彼の遠征を記録した著作のタイトル『智慧の七柱』は箴言の9:1か取ったとされていますね。

    洪水に関しては『ギルガメッシュ』にも登場しますし、史実的にも実際に起こったものと感じています。

    >古来から人類が残してきたあらゆる著作物には著作の目的があります。それは新・旧約聖書にしても例外ではありません。今日話題にしたイエスの処刑が記されているのは新約聖書のなかの福音書といわれるものです。実はですね・・これを記した著者たちは、イエス伝を書いたのではありません。そうではなく、彼らはイエスがキリスト(油注がれたもの、救い主)であることを論証し、そしてその素晴らしい出来事を宣教することが目的であったわけです。したがって、そこで描かれたイエス像は「史的イエス」ではなく「宣教(ケリュグマ)のイエス」です。

    >また聖書はいわゆる近代的な定義にあてはまる「歴史書」ではありませんが、以前にも言った通り、旧約ではウーレィの発掘によって洪水跡が発見されたことも事実であり、新約ではイエスが説教したであろう会堂(シナゴグ)が、ガリラヤのカペナウムで発掘されてもいます。もっともこの建物は再建が繰り返されており、イエス時代のものは土台の一部だけにすぎませんが・・。

    >このように、歴史的事実を記そうとしなくても・・例えば神との関係だけを記そうとしたとしても、(それが聖書の第一義なんですが)・・不思議にも歴史的事実が残ってしまうというParadoxicalな書物なんですね聖書は・・。

    ええ。Historyという単語に関しては、歴史的な記載と共に、STORY(物語)という意味もありますね。 友人には色々と面白い内容なので旧約と新約を読んでみるといいよ・・と言われています。

    引き続きよろしくお願いいたします。

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■10410 / inTopicNo.10)  ハンガリー舞曲
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/09(Sat) 09:51:53)
    おはようございます、floraさん

    ブラームスのハンガリー舞曲は元々はピアノ連弾(4手)用に書かれたもので、(ウィキペディアの表現によれば)爆発的人気となりました。若い男女で弾くことを想定して時々手を交差させお互いの手が触れるように作曲したりしたようです。双方そこそこピアノが弾けるカップルって当時どのくらいいたんでしょうね。中流〜上流社会ではピアノが弾ける、ワルツが踊れるというのは一般教養の一つだったのかもしれません。ひょっとするとブラームスがクララの手に触りたかったのかも・・・

    で、ブラームスは何曲か自分でオーケストレーションをしましたが、曲数はわずかです。凄く有名な5番もブラームス自身の編曲ではありません。註:floraさんがアップした録音の5番のクレジットにはfis-mollとあります。ピアノのオリジナルは嬰へ短調ですがオーケストラ版はト短調です。

    長く日フィルの首席客演指揮者であったハンガリー人指揮者ルカーチ・エルヴィンはブラームスのハンガリー舞曲は振ったことがないと言っていました。理由はこれらがマジャール舞曲ではないからです。ブラームスがハンガリーの音楽だと思った旋律は、ハンガリーに住むロマ(ジプシー)の音楽だったのです。これを声を大にして主張したのがバルトーク(やコダーイ)でその影響は大きかったのです。以前にも書きましたが、ラベルが「ジプシーの音楽も音楽ではないのか?」と書いたのが「チガーヌ」です。

    ハンガリー舞曲に似たものにドボルザークのスラブ舞曲があります。これは全部ドボルザークが書いています。

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■10405 / inTopicNo.11)  Re[62]: 公現祭
□投稿者/ ディディモ -(2021/01/08(Fri) 23:53:15)



    >イースターと言えば、イエスが処刑された時に、日食が起きたとかいうことがどこかに記されているのでしょうか?


    ええ、イエスの受難と復活が書かれている福音書は、マタイ伝・マルコ伝・ルカ伝・ヨハネ伝と4書がありますが、そのうちヨハネ伝を除いた3書に日食を暗示する記述がみられます。例えばルカ伝では、

    【時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。】<ルカ伝23章44節〜46節 聖書協会口語訳>

    と、あります。日食という天文学での用語がその当時のユダヤにあったかどうかは分かりませんが、なかったとすれば、この時起きた自然現象はこういうふうな描写にならざるを得ないでしょうね。そう考えると、この文章は明らかに日食の情景を描写したものだと思います。

    ただ皆既日食であれば、それがどの位の時間続くかは、いくら長くても7分を超えないことが現代では分かっていますから、この文章のようにそれが3時間と読めるのは・・著作者の誇張か、正文批判(textual criti-cism 本文批評とも)での誤謬か、あるいは神学的要請からか・・色々考えさせられるものがありますね。

    ==========

    ご指摘の月食説は、Humphreys & Waddington(物理学者のコリン・ハンフリーズと天文学者のグレイム・ワディントン)の唱えた説だと思いますが・・
    かれらは使徒言行録の2章20節にある【主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる】をとらまえて、これを月食と解釈しているようです。そして同2章17節の【神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。】の「終わりの時に」はイエスの降臨を表し、同2章20節の【主の偉大な輝かしい日】はイエスの復活を表す・・などと解釈し、月食とイエスの処刑の日を結び付けようとしています。
    う〜ん、彼らが典拠としている使徒言行録2章の記述、つまり【】で囲ったところは、ヨエルという古代の預言者の言葉だしぃ〜〜、・・彼らの試みは、ワタシ個人的には、難しいものがあると思いますが・・(^0^)

    まぁ、彼らはそれを傍証にして、西暦26年から36年までの3〜4月に、エルサレムの夕刻において月食が見られるのは、西暦33年4月3日のみである(それは正しい!!^^)ことから、イエス処刑の日を、その日と結論しているそうです。

    ==========

    わたしは、様々な理由から(それを語ると長い!疲れるのでヤメときます^^)イエスの処刑は西暦30年説をとっています。

    まぁ、これは以前に・・聖書に記されている大洪水は史実か神話か、史実であれば何処であったのか、あるいは年代は何時か?等々をフローラさんと語ったことがありますが、(ウーリィのウル発掘の話とか・・彼とT・E・ロレンスが一緒に写真に写っている、とかの話をした記憶がありますが、覚えていますか?あれはまだYa!掲示板の時代でしたから、十年以上も前になるかもです。) で・・、そこで問題となったのは聖書と史実の関係です。

    古来から人類が残してきたあらゆる著作物には著作の目的があります。それは新・旧約聖書にしても例外ではありません。今日話題にしたイエスの処刑が記されているのは新約聖書のなかの福音書といわれるものです。実はですね・・これを記した著者たちは、イエス伝を書いたのではありません。そうではなく、彼らはイエスがキリスト(油注がれたもの、救い主)であることを論証し、そしてその素晴らしい出来事を宣教することが目的であったわけです。したがって、そこで描かれたイエス像は「史的イエス」ではなく「宣教(ケリュグマ)のイエス」です。

    また聖書はいわゆる近代的な定義にあてはまる「歴史書」ではありませんが、以前にも言った通り、旧約ではウーレィの発掘によって洪水跡が発見されたことも事実であり、新約ではイエスが説教したであろう会堂(シナゴグ)が、ガリラヤのカペナウムで発掘されてもいます。もっともこの建物は再建が繰り返されており、イエス時代のものは土台の一部だけにすぎませんが・・。
    このように、歴史的事実を記そうとしなくても・・例えば神との関係だけを記そうとしたとしても、(それが聖書の第一義なんですが)・・不思議にも歴史的事実が残ってしまうというParadoxicalな書物なんですね聖書は・・。
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■10404 / inTopicNo.12)   CONCERTO POPOLARE
□投稿者/ 田秋 -(2021/01/08(Fri) 23:17:00)
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