| 勉強や知識とはムエン君の言うように本来は自己目的であるはずのものだが、恐
らく中国人がこれを社会制度として確立し世界がこれを真似た結果いつの間にか勉
強≒受験勉強ということになってしまった。勉強≒受験勉強という観念の一番の犠
牲者は実は小学校の教師かも知れない。かれらは知識は道具であるというデューイ
的な観点を拡大し知識というものが人間を選別する道具と化しているということに
妄想と被害者意識を持つようになってしまった。かれらは知識や勉強が楽しいとい
うことを知らず知識や勉強を敵視するようになっていた。特に物事を科学的に見る
ということをせず、もっぱら芸術的に主観的に見ることを由とする傾向を持つよう
になっていた。(もっともこれは当時のことで現在はまた違っているようだが)
現在においては学校と塾とは必ずしも対立的な構図にあるわけではない。官僚や
医師や教師が塾や予備校や家庭教師に世話になり現在の地位を得ているということ
がいわば常態化した現在では当時に見られた学校と塾のいわば対立した関係は過去
のものになったといえるかも知れない。
しかしながら当時は塾というものは日陰の存在であり、予備校に至っては恥さら
しの存在であった。ただ首都圏や関西圏では伝統的にいくつかのハイレベルの国立
や私立の学校がありお受験の文化が存在していたが、現在においては難関といわれ
る学校も当時はそれほどレベルが高いわけではなく小学校・中学校への受験の文化
はブルジョア階級のものであったといえるだろう。
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