| 恒例(?)巻頭特集西遊記ですが、最近勉強が忙しすぎて書く時間がありません。それで今回は2006年頃に書いた文章を掲載しお茶をにごすことにしましたm(_ _)m。本文でも触れていますが、嘗て日本フィルに存在した楽員による公式HP中に楽員の趣味のページがありました。そこに私が《ちゅうごくちゅうどく》と題して中国産の故事成語を無責任に解説するというコンテンツがあり、その第50回記念として書いた西遊記ものです。今回それに最小限の手を加えたものを掲載します。
しかし、今回はその前に一つ書きたいことがあるので、まずそれを書きます。
《謙虚であること》
何かを知りたいと思い研究するとき、一番大事なことは謙虚であることだと思います。最初は自分がずぶの素人だとわかっていますから謙虚にひたすら勉強します。そのうち知識も増え以前わからなかったことも理解できるようになり、少しは自信がついてくる訳ですが、そこで自信と過信が曖昧になることがあります。
自分の経験からいうと勉強すればするほどゴールが遠くなることはよくあることです。今まで見えてなかった諸問題が見えてくるからです。問題が見えてくること自体進歩の証なのですが、以前よりゴールは遠くにあることに気づいたということは最初勉強を始めた時の謙虚さよりもさらに謙虚にならざるをえません。
何故謙虚であることがいいのかというと、周りからの情報をシャットアウトしないからです。一旦受け入れ吟味してから取捨選択をしても遅くありません。他人の意見は有難いものです。自分の背中は直接みることはできませんが、人は容易に私の背中を見ることができます。この比喩は色んな示唆を含んでいます。
指摘を吟味し正しければ相手に感謝し自分を改めます。先ほど取捨選択と書きましたが、私は捨てずに頭の倉庫にしまっておきます。後になって指摘の真意が理解できることもあるからです。 「過ちて改めざる、是を過ちという」とは論語に出てくる孔子の言葉です。孔子はさらに 「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」とも言っています。
もう一つ、謙虚であることの良いところを挙げるならば、「自分は間違えない」という思い込みに陥らないということです。自分で自分の過ちを見つけることは案外容易なことではありません。それよりも人の過ちを見つけることの方が遥かに簡単です。人の話を謙虚に聞く所以です。
人は間違えるのです。
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さて今回のお題は《西遊記の13》です。 「ちゅうごくちゅうどく」、遂に50回を迎えました。日本フィルのサイトにどうして日フィルにもクラシック音楽にも関係のないコンテンツがあるの?と、いぶかる方もきっといらっしゃると思います。そもそも「ちゅうごくちゅうどく」は団員の「同好会・愛好会」の一コンテンツなのですが、他のコンテンツの更新がほとんど行われない中で、これだけが回数を重ねているだけの話なのです。これも偏(ひとえ)に田秋氏の気長でしつこい性格の賜物だと思っております。ま、こんな読む人がいるかどうかもわからないコンテンツに批判的な方もいらっしゃるとは思いますが、そういう声は聞くふりをして100回を目指してがんばりたいと思います。今回は50回記念として、田秋氏の専門である西遊記ものをお送り致します。題して「西遊記の13」、西遊記をあまり知らない人にはチンプンカンプンですぞ。それでは、どうぞお楽しみに!
西遊記の作者(注)は数字に一種独特の感覚を持っていたことは西遊記関係者の間ではよく知られています。そのうち「9」については早くから研究、分析が進みました。その後、「7」についても当時中学3年生だった田中智行氏の指摘によりそのシンボル性が明らかになり、田中氏の業績に刺激された西遊記研究の観音菩薩とも言える中野美代子氏がより多くの数字に対して色々な秘密を明かすことに成功しました。中野美代子氏の研究は岩波新書666の「西遊記〜トリック・ワールド探訪〜」に詳しく載っています。 さて、「9」も「7」も大変シンボリックな数字ですが、それらに勝るとも劣らない数字が西遊記にはあります。13です。ある意味、こちらの方が私の脳裏に残っています。それはどうしてかというと・・・
それを説明するには、まず日本での西遊記の流布状況をお話する必要があります。西遊記には大きく分けて、繁本と簡本の2種類があります。繁本は詳しい本という意味で、明末に世徳堂から出版された本が代表的です。簡本というのは、適度に省略してある本で、清朝に出版された《西遊真詮》がその代表です。何故省略された本が出版されたのかというと、理由は二つあって、一つは繁本にはやたら詩や詞が多いこと、しかも難解で一読しても何のことかさっぱりわからないものが多いのです。もう一つ理由は、くどい!のです。例えばAさんがBさんに1ページくらいかかる話をしたとします。それをBさんがCさんに伝えるとき、丸々同じ内容を1ページ費やして書いてあるのです。実際はそうなるのでしょうが、読者としては我慢できません。ええい、しつこい! 「BさんはAさんから聞いたことをCさんに話しました。」 1行で済むところを全く同じ内容を繰り返すのですからね・・・
もう一つ、《西遊真詮》には大きな特徴があります。それは第9回丸々1回分を三蔵法師(玄奘)の出生から成人になるまでの話に充てていることです。繁本の世徳堂本では詞の形で簡単に触れているだけです。その辺りのことを詳しく書き出すと大変なことになりますし、今回の主題でもないので今は省きます。
とにかく繁本と簡本の2種類あるのですが、日本では先に簡本が訳されました。繁本の完訳は1998年、中野美代子氏によって初めてなされたのです(岩波文庫:全10巻)。ですから私も最初に読んだのは簡本で、それも子供の頃に初めて読んだは、簡本のさらにダイジェスト版だったのです。簡本の全訳を初めて読んだのは大学生になってからのことです(平凡社:太田辰夫、鳥居久靖訳)。この簡本、西遊記の発達の研究という学問的な見地からはともかく、読み物としては圧倒的に繁本より読みやすく、中国でも、西遊記と言えばこの《西遊真詮》を指すくらいの優れものなのです。
さて、そろそろ13の話に戻ります。何故、13が脳裏に残ったのか?まず、(西遊真詮の)第9回の話は玄奘の父のことから始まります。時の皇帝、太宗が魏徴の答申を受け、科挙の試験を実施することとなりました。そして試験を首席で合格したのが他ならぬ玄奘の父、陳光蕋(ちんこうずい)だったのです。それが貞観13年のことでした。
それから話は進みますが、簡単に筋を書くと、光蕋は結婚し、二人で赴任地へ行く途中、賊に襲われ、光蕋は殺され、賊(劉洪)は光蕋になりすまし、任地に赴きます。その時、光蕋の妻は既に妊娠していましたが、赤ん坊(玄奘)を生んだとき、劉洪はすぐに川に流せと言います。妻は成り行きを書いた血書とともに、長江に流します。幸い玄奘は下流で法明和尚に拾われ、そこで僧侶として育てられます。18歳になったときあるきっかけがあり、法明和尚は血書を見せ、玄奘は母探しに出かけます。そこで母と対面し、劉洪も退治します。
以上が第9回の話で、そのあと西遊記では太宗の地獄めぐりの話があります。この10回〜12回で玄奘の取経の旅の理由付けが行われ、第13回で取経の旅に出発するわけですが、それが貞観13年9月15日なのです。
これはどう考えてもおかしな話です。貞観13年に玄奘の父が科挙を受け、結婚し、玄奘が生まれ、18歳に敵打ちをしています。敵打ちの直後に取経の旅に出たとしても貞観31年になる計算です。また、13回の貞観13年が正しいとすると、玄奘の父が首席となった科挙を行った時の皇帝は太宗の父の李淵だったということになってしまいます。
この矛盾は特によく読まないと気がつかない類のものではありません。9回、13回のそれぞれの冒頭に「貞観13年」と書かれているのです。あたかも作者が「オマイラ、ここ矛盾だから、そこんとこヨロシク!?」と言っている感じです。そしてこのあまりにもあけっぴろげな矛盾のため脳裏に焼きついたのです。第13回、貞観13年に出立という設定は、非常に暗示的で、いかにも「13」に意味を持たせているという印象ですが、それでは作者は何故ここで「13」という数字を選んだのでしょうか、12とか14とかではなく・・・
さて、13の考察に進む前に、あまり西遊記に詳しくない方のために、9や7が西遊記でどのように使われているか、簡単に見ておくことにします。例えば八戒の武器は馬鍬(まぐわ)ですが、それには9本の歯があります。また沙悟浄は首に9個の髑髏を掛けています。また物語には九頭虫や九霊元聖という妖怪が出てきます。これらはすぐに、「あ、9だ」とわかります。三蔵法師は全部で81の難に出会いますが、81というのは、言うまでもなく9の倍数(自乗数)です。また、天帝から河の竜王に雨を降らす命令が下る場面がありますが、その雨量は3尺3寸と48滴ですが、これを3348と解釈するとこれは9の倍数です。もう一つ例を挙げるなら、玄奘が長安を出立してから雷音寺のお釈迦さまのところに着くまでに5040日かかっています。これも9の倍数です。孫悟空の武器といえば言わずとしれた如意金箍棒です。この棒の重さは13500斤ですが、これも9の倍数、もう一つだけ、第19回に般若心経を授かりますが、このお経の字数についての記述があります。54句270字、どちらも9の倍数です(実際は字数に関し何種類かあります)。
次に7について見ておきます。お釈迦さまは、いつもは雷音寺を離れることはありませんが、物語中、2度だけお出ましになる場面があります。一度目は第7回、一旦、捕えられた悟空が再び暴れだした時、天界へ、2度目は第77回、大鵬金翅鳥(たいほうきんしちょう)を取り押さえるために獅駝洞へ赴いた時です。三蔵一行が霊鷲山雷音寺に到着したのが第98回(7の倍数)、そのほか、旅程の丁度真中が通天河ですが、これが第49回(同じく7の倍数)です。但し、通天河事件は第47回〜49回なので、ピンポイントの指定ではなく少々滲んだ感は否めません。
以上、9と7について簡単に見てみました。さていよいよ13です。最も印象的な個所は、先に述べたように第13回で貞観13年出立の部分です。その他、例えば24回から26回の人参果事件を見てみます。人参果(赤ちゃんそっくりの果物)は初め30個生っていたのですが、色々あって最終的に13個残りました。28回から31回は黄袍怪事件ですが、奎木狼(黄袍怪の正体)が天界を留守にしていたのは13日。9のところで述べた般若心経に関して、54句270字となっていますが、54句(本文)だけだと260字しかなく、それに題字10文字加えて270字になるのです。260字、これは13の倍数です。第64回荊棘嶺のお話には全部で13個の詩がでてきます。その他、祭賽国金光寺の宝塔が13層だったり、老人の年齢が130歳だったり(第14回)します。こういう例はまだまだありますが、ただ事例を羅列しているだけでは能がありません。作者は何故「13」に拘ったのでしょうか。 (つづく)
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