| パニチェさん何度もすみません。 > 生命は散逸構造と言われていますし、身体性はゲシュタルト構造(部分や要素の集合だけでは記述できない全体性)とされますからね。
なるほど、散逸構造とゲシュタルトからかんがえるのは「在る」こととは、じつは「成る」ことであり、「存在」とは、すなわち「生成」なのだとも言えますし、このことは、福岡伸一先生の「動的平衡」とも似ていて常に変化していく諸行無常、空論にも通じるものを感じます。
> 脳が脊椎の先端として生じ、そこに魚類、爬虫類、哺乳類、人間脳と重層的な構造をしていることからして、身体も同様に進化で生き残ってきた叡智の結晶でもあるんでしょうね。
本当に、生命の進化には驚くものを感じますし、改めて肉体と自分自身のパースペクティブの重要さもフッサールの現象学とともに考えを新たにするものです。 >
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