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■8582 / inTopicNo.73)  後期哲学
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 21:52:21)
    カントやウィトゲンシュタインに、前期と後期、もっと細かく区分できるかもしれないが、時期による哲学の変遷があるように、当然、西田幾多郎にもある。

    面白いのは、個人的には、三人とも後期になるほどアリストテレス的になっているのでは?の印象がある。
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■8578 / inTopicNo.74)  Re[16]: ニーチェは深いですね
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 20:41:28)
    パニチェさん何度もすみません。

    > 生命は散逸構造と言われていますし、身体性はゲシュタルト構造(部分や要素の集合だけでは記述できない全体性)とされますからね。

    なるほど、散逸構造とゲシュタルトからかんがえるのは「在る」こととは、じつは「成る」ことであり、「存在」とは、すなわち「生成」なのだとも言えますし、このことは、福岡伸一先生の「動的平衡」とも似ていて常に変化していく諸行無常、空論にも通じるものを感じます。


    > 脳が脊椎の先端として生じ、そこに魚類、爬虫類、哺乳類、人間脳と重層的な構造をしていることからして、身体も同様に進化で生き残ってきた叡智の結晶でもあるんでしょうね。

    本当に、生命の進化には驚くものを感じますし、改めて肉体と自分自身のパースペクティブの重要さもフッサールの現象学とともに考えを新たにするものです。
    >
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■8569 / inTopicNo.75)  Re[15]: ニーチェは深いですね
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/31(Sat) 18:57:43)
    2020/10/31(Sat) 19:07:25 編集(投稿者)

    ななしさん、レスありがとうございます。
    今朝のタイトルの宛名が「なはなしさん」になっていました、お詫びして訂正します。ごめんなさい。

    No8560に返信(ななしさんの記事)
    > いいえ、お気になさらずに。

    ありがとうございます。

    > 何か共感するものがあるのなら、その方とも意見交換してみたいです。

    get953さんというYahoo!掲示板時代からの旧友です。
    今から19年ほど前に「未来のアトム」という本の読書会を善財さんという人も加え3名でレス交換しました。
    その内容が先にななしさんが投稿していた電脳の可能性、フレーム問題、意識の再現には身体性(生死も含めた)が不可欠であること、オートポイエーシスやアフォーダンスなどなどについてレス交換していたものですから、ひょっとしてget953さんと同一人物ではないかと誤解してしまいました。^^;

    > なるほど、ニーチェは、精神性や意識より身体性に重きをおいているということでしょうか。

    敬虔なクリスチャンや聖職者が自らを鞭打ったり、仏教でも肉体を苛めるような苦行を行ったり、身体(肉体)から沸き起こる欲求や欲望を罪深いもの、あるいは滅すべき対象とすることを是とする人たちを「身体を軽蔑する者たち」とし、その反論(そんなに肉体や生を否定してどうすんの?)というかアンチテーゼとして、身体性を大いなる理性、意識を小さな理性と逆転させてみせたといったところでしょうか。しかしニーチェも欲望を全面的に肯定しているわけではないことは以下のアフォリズムで分かります。

    『自明なことであるが、──私が愚か者でないとすれば──、非倫理的と呼ばれる多くの行為は避けられるべきであり、克服されるべきであるということを、私は否定しない。同様に、倫理的と呼ばれる多くの行為は実践されるべきものであり、促進されるべきであるということを私は否定しない。──しかし前者も後者も、これまでとは別な理由からであると私は考える。われわれは学び直さなければならない。──結局おそらく極めて後のことかもしれないが、さらにそれ以上に到達するために、感じ直すために。(曙光103)』

    > だとすると、肉体って奥が深くて、機械のように単調なものではなく福岡伸一先生の「動的平衡」なもので、だからこそ、生命とは、遺伝子のことでもなければ細胞のことでもなく絶え間なく分解と合成を繰り返しながらバランスを取っているのだと思いました。
    > https://www.youtube.com/watch?v=xJRkrGsHYe8
    > それと、「脳が身体性の一角」という視点は、面白いなあと思いました。 

    生命は散逸構造と言われていますし、身体性はゲシュタルト構造(部分や要素の集合だけでは記述できない全体性)とされますからね。
    脳が脊椎の先端として生じ、そこに魚類、爬虫類、哺乳類、人間脳と重層的な構造をしていることからして、身体も同様に進化で生き残ってきた叡智の結晶でもあるんでしょうね。

引用返信/返信 削除キー/
■8566 / inTopicNo.76)  動的平衡と絶対矛盾的自己同一
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 18:22:56)
    こんばんは。

    「福岡伸一、西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一」

    Amazonで早速注文しました。

    早く読みたいし、読んだら感想を書き込みたいと思います。

    https://www.youtube.com/watch?v=kGXRsnU7jio
引用返信/返信 削除キー/
■8565 / inTopicNo.77)  Re[12]: 哲学の雑談 5
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 18:17:25)
    knowing itselfさん、こんばんは。

    肉体の復活なんて正直な話、荒唐無稽な気がしますが、
    神が救済として復活をされるのであれば
    やはり、人知を超えることなのかなと思います。

    だからこそ、当時のイエスの弟子もラザロの姉妹も復活を
    信じていなかったかのようなことになったのであり、
    信じられない方が、人としては自然なのかなと思ったりします。

    なので、それでも神は、復活させるのであれば、
    本当に神業としか言いようがありませんね。

    信仰の困難さは、まさに、狭き門に感じます。


    No8562に返信(knowing itselfさんの記事)
    > キリスト教は肉体否定のグノーシス主義とは一線を画しますが、この所与の肉体限定、ありのままのこの肉体至上では決してないことも明らかでしょう。復活した新しい身体こそがキリストのアイデンティティーを保証する。
引用返信/返信 削除キー/
■8562 / inTopicNo.78)  Re[11]: 哲学の雑談 5
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 16:38:57)
    キリスト教は肉体否定のグノーシス主義とは一線を画しますが、この所与の肉体限定、ありのままのこの肉体至上では決してないことも明らかでしょう。復活した新しい身体こそがキリストのアイデンティティーを保証する。
引用返信/返信 削除キー/
■8561 / inTopicNo.79)  Re[10]: 哲学の雑談 5
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/31(Sat) 16:30:50)
    たーぼーさん こんばんは

    No8484に返信(たーぼーさんの記事)

    > この現象世界を実在するものと考えるのも、実在しないものと考えるのも間違いだと思います。
    > そのどちらでもない。


    現象世界だけが実在するとするのは間違いでしょう。他方、現象世界はまったく実在しないとするのも間違いでしょう。

    西洋哲学は、プラトン、アリストテレス、スコラ哲学、デカルト、カント以降、もちろんそれ以前も、数多くの哲学者はそのことを論じてきたといって過言ではない。
引用返信/返信 削除キー/
■8560 / inTopicNo.80)  ニーチェは深いですね
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 16:13:04)
    パニチェさん、返信ありがとうございます。


    >>■No8543に返信(パニチェさんの記事)
    > >>ん?あれ?
    >
    > >>ななしさん、『未来のアトム』って読んだことあります?
    >
    >>何かで見たような気はしますが、実際に読んだことはありません。
    >
    >>これって、ニーチェと何か関係しているのでしょうか。
    >
    > あ、いえ。『未来のアトム』はニーチェとは関係ありません。
    > 投稿内容と投稿スタイルが似ていたので、私の掲示板時代の旧友かと勘違いしてました。
    > すみません。

    いいえ、お気になさらずに。
    何か共感するものがあるのなら、その方とも意見交換してみたいです。

    > 先のななしさんの投稿はニーチェとも関連するとは思います。
    > ニーチェは身体性を大いなる理性と呼んでおり、最も遅れた発展である意識を身体性の玩具として産み出したと述べてはいます。
    >
    > 「意識。──意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であり、したがってまたその表面の最も未熟な、最も無力な部分である。(悦ばしき知識第11番)」
    >
    > 「きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」
    >
    > 「創造する肉体が、みずからのために、自分の意志の一つの手として、精神を創造した。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」
    >
    > 個人的には意識が無意識の氷山の一角であることは、脳が身体性の一角であることと同じだと考えています。

    なるほど、ニーチェは、精神性や意識より身体性に重きをおいているということでしょうか。

    だとすると、肉体って奥が深くて、機械のように単調なものではなく福岡伸一先生の「動的平衡」なもので、だからこそ、生命とは、遺伝子のことでもなければ細胞のことでもなく絶え間なく分解と合成を繰り返しながらバランスを取っているのだと思いました。

    https://www.youtube.com/watch?v=xJRkrGsHYe8

    それと、「脳が身体性の一角」という視点は、面白いなあと思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■8546 / inTopicNo.81)  Re[13]: おはようございます>ななしさん
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/31(Sat) 09:52:47)
    2020/10/31(Sat) 17:31:08 編集(投稿者)

    No8544に返信(ななしさんの記事)
    > パニチェさん、おはようございます。

    > ■No8543に返信(パニチェさんの記事)
    >>ん?あれ?

    >>ななしさん、『未来のアトム』って読んだことあります?

    > 何かで見たような気はしますが、実際に読んだことはありません。

    > これって、ニーチェと何か関係しているのでしょうか。

    あ、いえ。『未来のアトム』はニーチェとは関係ありません。
    投稿内容と投稿スタイルが似ていたので、私の掲示板時代の旧友かと勘違いしてました。
    すみません。

    先のななしさんの投稿はニーチェとも関連するとは思います。
    ニーチェは身体性を大いなる理性と呼んでおり、最も遅れた発展である意識を身体性の玩具として産み出したと述べてはいます。

    「意識。──意識性は、有機体の最後の、最も遅れた発展であり、したがってまたその表面の最も未熟な、最も無力な部分である。(悦ばしき知識第11番)」

    「きみが「精神」と呼ぶところの、きみの小さな理性もまた、きみの身体の道具である。きみの大いなる理性の一つの小さな道具ないしは玩具である。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」

    「創造する肉体が、みずからのために、自分の意志の一つの手として、精神を創造した。(ツァラトゥストラ 身体を軽蔑する者たちについて)」

    個人的には意識が無意識の氷山の一角であることは、脳が身体性の一角であることと同じだと考えています。
引用返信/返信 削除キー/
■8544 / inTopicNo.82)  Re[12]: おはようございます>なはなしさん
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 09:16:37)
    パニチェさん、おはようございます。


    No8543に返信(パニチェさんの記事)
    > ん?あれ?
    >
    > ななしさん、『未来のアトム』って読んだことあります?

    何かで見たような気はしますが、実際に読んだことはありません。

    これって、ニーチェと何か関係しているのでしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■8543 / inTopicNo.83)  おはようございます>ななしさん
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/31(Sat) 09:07:59)
    2020/10/31(Sat) 17:32:17 編集(投稿者)

    ん?あれ?

    ななしさん、『未来のアトム』って読んだことあります?
引用返信/返信 削除キー/
■8538 / inTopicNo.84)  Re[10]: 哲学の雑談 5
□投稿者/ ななし -(2020/10/31(Sat) 06:59:30)
    最近のAIやロボットのペッパー君などを見ていると、身体、生命が、いかに複雑で巧妙なシステムであり、機械との間には、フレーム問題などの埋めがたい大きなギャップが横たわっているかを考えさせられます。

    なぜなら、知能の発現には、脳だけでなく身体と環境という二つの条件が必要なのであり、これは、身体を使って行動し、環境と相互作用を行った結果を経験としてフィードバックするという一連の繰り返しから知能が生成するのではないかという考え方にも繋がっています。

    とかく人工知能というと二元論的な観点の知能とは脳内における情報処理であり、
    ハードウェアから分離して取り出せる独立したソフトウェアのごときものである
    とする考え方ですが、やはり、アフォーダンスやオートポイエーシス理論もそうですが、環境と肉体の双方がなければならないということでしょう。

    なので、仏様の座禅による自分の肉体の再認識と受肉し復活したという神様の意味が深いのだと思います。

    奇しくもどちらも人間の肉体がなければ、得られない悟りであり、神の恩寵なのですから。

    改めて、肉体をもって生きることの大切さを感じる次第です。
引用返信/返信 削除キー/

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