| knowing itselfさん横失礼します。
> ウィトゲンシュタインのハエ取り壺の喩えも、ウィトゲンシュタインや永井さんがどう考えていようと、わたしとしては同じ一つのスクリーンが70億とおりの違う映画を射している事態を表現していると理解しています。同じ一つのハエ取り壺の中で、70億とおりの脱出劇がプレイされている。
「哲学におけるあなたの目的はなにか。―ハエにハエとり壺からの出口を示してやること。」
ここでいう「ハエ」とはつまり「哲学者」のことなのですよね。
ウィトゲンシュタインによれば、哲学者は、「心は存在するのか」「観念とは何か」と答えがない問いについて考え、ハエのように、もがき苦しむと見ていたようです。
でも、実は、それらは、問いの立て方が悪かっただけで、哲学者に対して言葉が使われたり、話される場所や背景バックグラウンドによつて意味が変わっていく「言語ゲーム」の特性によって理解すべきだということを示したものと思われます。
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