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■8523 / inTopicNo.13)  「場所的論理と宗教的世界観」
  
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/30(Fri) 20:05:04)
    こんばんは。

    引用開始

    我々の自己の根柢には、何処までも意識的自己を越えたものがあるのである。これは我々の自己の自覚的事実である。自己自身の自覚の事実について、深く反省する人は、何人も此に気附かなければならない。鈴木大拙はこれを霊性という(日本的霊性)。而して精神の意志の力は、霊性に裏附すけられることによって、自己を超越するといっている。(「場所的論理と宗教的世界観」『西田幾多郎哲学論集V』

    引用終わり

    西田幾多郎の代表作とされる論文からの引用だが、これは第五図に相当すると思う。

引用返信/返信 削除キー/
■8504 / inTopicNo.14)  そうは思いません>おくたがわさん
□投稿者/ パニチェ -(2020/10/29(Thu) 20:07:20)
    2020/10/31(Sat) 07:37:32 編集(投稿者)

    No8490に返信(おくたがわさんの記事)

    > 実際には、あのままでも法律違反で咎められることはないと思いますが、場合によって権利侵害が生じることを防ぐためのルールなので形式的にでも守るべきと。

    痴漢をしても被害者が告訴し裁判でもって最終的な判決が確定しないかぎり、違法行為(現行犯)は咎められることはないと述べてるのと同じです。

    実際には無断転載をした時点で権利侵害は生じている。無断転載元のサイトを特定し示した上で、編集でもってルールにのとった引用として掲載しないなら、管理者権限で削除する旨を伝えた上で処理した。さらに…

    刑法にかかる行為は法律どうのこうの以前に行為者の倫理道徳が問題となる。
    著作権法にかかる無断転載は法に抵触する云々以前に常識やマナーが問われて当然。

    レス交換の文脈も無視し、あたかも自分の見解や意見であるかの如く、サイトの記述を無断転載する行為がまともとは思えませんし、レス交換相手にも無礼です。

    自分の書いたものを無断であたかも投稿者の意見や見解であるかの如くどこかで投稿されれば「なにしとんねん、こいつ」となるし、またそのようなレスを返されても「お前どっからパクっとんねん」と少なくとも私は軽蔑します、

    著作権法以前の問題。


    ***以下、ニーチェクラブINFOより***

    違法行為や法に抵触するようなカキコ、意味不明や商業目的のカキコなどは管理人の判断によって削除し、即アク禁にします。これについての抗議は一切受け付けません。

    【また法に抵触さえしなければ許されるというぬるい感覚も嫌いです。】

    統一したルールや作法を設定する気は毛頭ありません。ルールとか規則、法律によって行為が制約されるのではなく、暗黙のルールやマナーを自然体で身に付けている人や自律する人を尊重したいですし、そこで自然発生的に生じるルールやマナーに私も従いたいと思います。

    **********************************

    ニーチェ的な表現を借りればトップダウンで下される奴隷道徳(法令順守)よりも、自らが自らを律する君主道徳(行動規範)を重視する実験場とするという意です。
引用返信/返信 削除キー/
■8501 / inTopicNo.15)  Re[18]: 引用は
□投稿者/ たーぼー -(2020/10/29(Thu) 18:19:18)
    No8490に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No8450に返信(たーぼーさんの記事)
    >
    > おはようございます、横から失礼します。
    >
    >>田秋さん、はじめまして。
    >>
    >>私が見たサイトはもっと厳しく書いてあります。
    >>URLは大丈夫みたいなので、貼ります。
    >>
    >>https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote
    >
    > 田秋さんの紹介されていたサイトの説明と比べて特に厳しくはなく、同じことが書いてあると思いますよ。
    >
    > 今回の件に関係するのは、
    > 公開されている著作物(例のサイトも該当)は、作成者の同意を得なくても、部分引用できること。
    >
    > 転載していい条件
    > *******
    > https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote
    > 『 1 そもそも著作物ではない
    > 2 著作者の許可を得ている
    > 3 引用
    > 4 転載が許される場合(著作権法32条2項、39条、40条)
    > 「引用」に限らず、この4つのいずれかにあてはまる場合には、著作権侵害になりません。』
    > ********
    >
    > 4つのうち、どれか一つを満たしていれば転載していい。
    > よって「引用」であるならばOK。
    >
    > ただし、引用であるためのルール・条件を守っている必要がある。
    > その条件は両サイトともに説明してあります。
    >
    > 今回の件では、引用である旨と出所を明記し、『』や > を使って、どこからどこまでが引用なのかが分かる形にしておけば、問題なかったところです。
    > 付け加えると、ニーチェクラブは作成者に迷惑がかかるような公序良俗に反する掲示板ではないですし。
    >
    > 実際には、あのままでも法律違反で咎められることはないと思いますが、場合によって権利侵害が生じることを防ぐためのルールなので形式的にでも守るべきと。


    おくたがわさん、こんばんわ。
    確かに引用のミスでしたね。出典ははっきりさせるべきでした。
    だからしっかり出典させ明確にすれば、別に引用自体は悪くないということが分かってよかったです。
    引用した部分ははっきり分かるようにする。
    今後は気をつけます。

引用返信/返信 削除キー/
■8499 / inTopicNo.16)  Re[24]: クリシュナムルティにおける観察
□投稿者/ minori -(2020/10/29(Thu) 16:15:56)
    2020/10/30(Fri) 12:13:06 編集(投稿者)


    No8498に返信(knowing itselfさんの記事)

    レスありがとうございます。
    No8486の私の投稿ですが、まとまらない内容だなと後になって思い、編集して内容がだいぶ変わってしまってます。
    No8498のknowing itselfさんのご投稿がなされているのと同じ時間に、私もちょうど、自分のNo8486の編集をしていて間に合いませんでした。
    その旨、お伝えしますね。 ややこしいことしてすみませんでした。
     

    > >>クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    > >>個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。
    >>
    >>思考というものはそれがどんな種類のものであっても、観照される側のものである、ということでいいのでしょうか。
    >
    > クリシュナムルティによると、どんなものであれ思考は条件づけを超えることはない、思考は条件づけそのもの、でしょう。思考は例の喩えだと映画内容です。

    ああ、そうでした。前に、クリシュナムルティに詳しい方の話でそれが出ていたのですが、すっかりと忘れてしまっていました。。


    > 一方で、クリシュナムルティは観察するものは観察されるものである、観察における主客分離を超えて観察だけになるとき葛藤はやむといいます。クリシュナムルティの用語を例の喩えに嵌め込むとすれば、観察=スクリーンだと思います。

    スクリーンだけになる、ということですね。
    ただ観る、批判判断を離れただ観る、ということ。

    思考はただ流れてくるもので自分で考えているわけではない、というのははっきりと分かるのですが、葛藤に関してはまだ出る時はすごい出ます。。
引用返信/返信 削除キー/
■8498 / inTopicNo.17)  クリシュナムルティにおける観察
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/29(Thu) 15:55:10)
    No8486に返信(minoriさんの記事)

    >>おはようございます。
    >>
    >>クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    >>個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。
    >
    > 思考というものはそれがどんな種類のものであっても、観照される側のものである、ということでいいのでしょうか。

    クリシュナムルティによると、どんなものであれ思考は条件づけを超えることはない、思考は条件づけそのもの、でしょう。思考は例の喩えだと映画内容です。
    一方で、クリシュナムルティは観察するものは観察されるものである、観察における主客分離を超えて観察だけになるとき葛藤はやむといいます。クリシュナムルティの用語を例の喩えに嵌め込むとすれば、観察=スクリーンだと思います。

    > このように考えるというか、観ることが可能な時、思考による心理的苦悩からは離れやすくなりますね。



    > 最近思うのは・・・問題なのは結局は、結果として主体的になってるかどうかなのかな、ということなんです。
    > つまり、永井さんのような独我論的主体性と、「わたし」であることにより第六図を生きる、というような道。
    > 主体的に生きるというその部分での一つの仕上がり(?)においては、そんなに変わりはないのかな、という気がしなくもないんです。

    そうかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■8493 / inTopicNo.18)  Re[15]: 掲示板ディベートの無意味性
□投稿者/ おくたがわ -(2020/10/29(Thu) 09:59:51)
    2020/10/29(Thu) 10:29:01 編集(投稿者)

    No8441に返信(ななしさんの記事)
    ななしさん、はじめまして。
    素晴らしいです。自分も何か言いたかったけれど、こういうスマートな発言は思いつかなった。

    > たーぼーさん、パニチェさん、こんばんは。
    >
    > 「西田幾多郎の叡知的世界」カントと西田との比較が、要領よくまとまっていること、カントの認識論的主観主義とフッサールのノエシスノエマの現象学にも
    > 言及していて大変興味深い内容でした。
    >
    > これからも、良いサイトをご紹介くださいね。

    別トピで現象学等に言及された投稿も素晴らしいと思いました。

    これへの返信はお気遣いなきようお願いします。
引用返信/返信 削除キー/
■8490 / inTopicNo.19)  Re[17]: 引用は
□投稿者/ おくたがわ -(2020/10/29(Thu) 09:23:08)
    No8450に返信(たーぼーさんの記事)

    おはようございます、横から失礼します。

    > 田秋さん、はじめまして。
    >
    > 私が見たサイトはもっと厳しく書いてあります。
    > URLは大丈夫みたいなので、貼ります。
    >
    > https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote

    田秋さんの紹介されていたサイトの説明と比べて特に厳しくはなく、同じことが書いてあると思いますよ。

    今回の件に関係するのは、
    公開されている著作物(例のサイトも該当)は、作成者の同意を得なくても、部分引用できること。

    転載していい条件
    *******
    https://topcourt-law.com/intellectual-property/copyright_low_quote
    『 1 そもそも著作物ではない
    2 著作者の許可を得ている
    3 引用
    4 転載が許される場合(著作権法32条2項、39条、40条)
    「引用」に限らず、この4つのいずれかにあてはまる場合には、著作権侵害になりません。』
    ********

    4つのうち、どれか一つを満たしていれば転載していい。
    よって「引用」であるならばOK。

    ただし、引用であるためのルール・条件を守っている必要がある。
    その条件は両サイトともに説明してあります。

    今回の件では、引用である旨と出所を明記し、『』や > を使って、どこからどこまでが引用なのかが分かる形にしておけば、問題なかったところです。
    付け加えると、ニーチェクラブは作成者に迷惑がかかるような公序良俗に反する掲示板ではないですし。

    実際には、あのままでも法律違反で咎められることはないと思いますが、場合によって権利侵害が生じることを防ぐためのルールなので形式的にでも守るべきと。
引用返信/返信 削除キー/
■8486 / inTopicNo.20)  Re[22]: クリシュナムルティその多
□投稿者/ minori -(2020/10/29(Thu) 08:57:04)
    2020/10/29(Thu) 15:56:41 編集(投稿者)


    No8481に返信(knowing itselfさんの記事)
    > おはようございます。
    >
    > クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    > 個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。

    思考はただ流れてくるものであり、思考者のものではないと考えれば(分かれば)葛藤はなくなる、というとなのでしょうね。

    考えるのか、流れてくるのか、の違いになるのかな。

    私は、「流れてくる」という実感はあるけれど、葛藤は完全になんてなくならないです。
    「私」がまったくなくならない限りそれは無理なんだろうな。
    それを求めようとも思ってはいませんが。。

引用返信/返信 削除キー/
■8485 / inTopicNo.21)  Re[21]: やりとりに際して。
□投稿者/ minori -(2020/10/29(Thu) 08:31:46)
    2020/10/29(Thu) 12:20:04 編集(投稿者)


    floraさん、こんにちは。 レスありがとうございます。
    とても嬉しく思ってます。^^

    >>霊性が高まる、つまりそれは、本質の自分を知るからなんですが、そのことによって叡智(洞察)は高まることはあるでしょうけれど、それはいわゆる思考力というものとは違うでしょう。
    >
    > 私もそう思います、と言っても私は坐禅等を実践しているわけでもないのですが、以前愚さんのトピで話題になったことや、クリシュナムルティの発言などを思い出してみると、私の理解では。思考と智慧は別ですね。「私」が消え、「わたし」になったときに自然と発生するのが智慧だったと思います。 また思考は、仕事や勉学、または実生活に必要な思考ではなく、あくまでも内的思考、つまり自分の感情−あーだった、こうだった、嫌なことを言われた・・・云々だったと思います。
    >
    > クリシュナムルティの『時間の終焉』というタイトルは素晴らしいですね、内的思考をやめる、即今しかない、瞬時、瞬時をベストで生きるってことなんでしょうか・・・
    >
    > と、私は思いました。


    クリシュナムルティは、過去の記憶への囚われと未来への闇雲な不安を内的思考・心理的思考として、人間の心理的苦悩の元をそこに観ていたのでしょうね。
    そうしたものから自由な時、洞察(智慧)が生まれるということみたいですね。
    たしかに「今」にないと、良い発想は生まれないと思います。


    「わたし」から生みだされる芸術・文化作品は、普遍的に人の心を打つものですね。
    また、そうした分野だけではなく、言動などを含めて人間の活動のすべてのところで「わたし」から生み出される智慧にあふれたものに触れる時、人は心を動かされるのだろうな、とも思います。

引用返信/返信 削除キー/
■8481 / inTopicNo.22)  クリシュナムルティその多
□投稿者/ knowing itself -(2020/10/29(Thu) 06:17:57)
    おはようございます。

    クリシュナムルティは思考と思考者との同一化が葛藤の根源といっているようです。
    個人という実存的な主体が思考するというのは、彼にとってはナンセンスなのかな。

    著名な思想家についての、誰もが使う程度の数行の要約フレーズなら、どういう状況でも問題ないと思いますが、果たして?





引用返信/返信 削除キー/
■8480 / inTopicNo.23)  Re[20]: やりとりに際して。
□投稿者/ flora -(2020/10/29(Thu) 04:06:27)
    2020/10/29(Thu) 04:22:21 編集(投稿者)

    minoriさんこんばんは

    横失礼いたします。

    > 霊性が高まる、つまりそれは、本質の自分を知るからなんですが、そのことによって叡智(洞察)は高まることはあるでしょうけれど、それはいわゆる思考力というものとは違うでしょう。

    私もそう思います、と言っても私は坐禅等を実践しているわけでもないのですが、以前愚さんのトピで話題になったことや、クリシュナムルティの発言などを思い出してみると、私の理解では。思考と智慧は別ですね。「私」が消え、「わたし」になったときに自然と発生するのが智慧だったと思います。 また思考は、仕事や勉学、または実生活に必要な思考ではなく、あくまでも内的思考、つまり自分の感情−あーだった、こうだった、嫌なことを言われた・・・云々だったと思います。

    クリシュナムルティの『時間の終焉』というタイトルは素晴らしいですね、内的思考をやめる、即今しかない、瞬時、瞬時をベストで生きるってことなんでしょうか・・・

    と、私は思いました。
引用返信/返信 削除キー/
■8475 / inTopicNo.24)  Re[19]: やりとりに際して。
□投稿者/ minori -(2020/10/28(Wed) 21:53:08)
    No8452に返信(たーぼーさんの記事)

    >>
    >>他者とのやりとりに際して、引用だけを張り付けてレスに代えるというのはやはりおかしいとと思います。
    >>引用に丸投げして自分の言葉ではまったく書かないというのは、真摯な態度とは言い難いのではないでしょうか。
    >>
    >>私のこの投稿の主旨としては、引用に関しての法律上の問題というのとはまた別な観点からの意見です。
    >
    >
    > だから簡単に言えば、行きっぱなしが意識に重点がおかれる。主体が意識。行って戻るは叡知に重点がおかれる。主体が叡知(思考)
    > それをもっと学術的に詳細に書いてくれてるのが、引用ルールには違反してしまったが西田の文章だと思っています。
    > 勿論、違う意見があってもいいけど、私はそう思ってます。

    もともと他の方とのやりとりだったものですが、私に宛てられたものでもあるので、返信してみます。

    > だから簡単に言えば、行きっぱなしが意識に重点がおかれる。主体が意識。行って戻るは叡知に重点がおかれる。主体が叡知(思考)

    行きっぱなし、というのはまずないんだと思いますよ。
    もしそういうことがあるとするなら、そうなったその人がもともと持っていた個性のためというところにその原因は求められると思います。
    現実逃避型の性格ということになるでしょうか。
    そういう人が意味も分からず、たまたま偶然に体験してしまう場合というのもあるようです。
    そうした場合には、おっしゃるような「行きっぱなし」になる可能性もあるかもしれないですね。

    しかし。本質としての自分を知る、ということは、それに出会いたいと思っていた人にとっては喜びでもあるでしょうし、しばしその喜びや優越感に浸る時があったとしても、そこからその本質からの働きを受け、霊性は高まっていくと思います。
    思考、感情、身体が本質ではない、ということは、体験を通じて理解できることですし、それは本質なのですから、書かれているような「戻る」というに際してもその本質は変わりようがないんです。

    霊性が高まる、つまりそれは、本質の自分を知るからなんですが、そのことによって叡智(洞察)は高まることはあるでしょうけれど、それはいわゆる思考力というものとは違うでしょう。

    今、書いたことも、私の経験+アルファで書いてみたものですので、違う考えの方はいらっしゃるとは思います。

    レスはお気遣いなく。

引用返信/返信 削除キー/

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