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■9230 / inTopicNo.25)  Re[6]: しかし、何だべな。
  
□投稿者/ エフニ -(2020/11/20(Fri) 07:39:35)
    >「孝」はエトスになりやすいのかな。<

    論語では二番目に孝のことが出ていたし(記憶は定かでないですが)、儒教は漢の時代に中国の国教になったから、教育によって、永い年月のうちに段々とエトスになったかも知れませんね。

    空海の時代は、お寺が大学だったのですが、官吏、官僚を作り出す為に、儒教ばかり教えていました。

    儒教圏の我々は、年長、年少というのを割と意識するのですが、英語圏のブラザー・シスターは、あまりそれを意識していない言葉のようです。

    即ち、「長幼の序」を守るという徳目は、英語圏では確立されていないのかも知れません。
引用返信/返信 削除キー/
■9227 / inTopicNo.26)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/20(Fri) 01:16:27)
    >習合の良いところは深く考えなくてもよいところかな。<

    そうですね。

    八幡神社は、神社と名前が付いてるし、立派な鳥居もあるし、どこから見ても神社なのですが、奉られているのは「八幡大菩薩」で、菩薩という大乗仏教の名前が付いています。

    >「習合する」それ自体がエトスなんだなぁと。<

    そうですよね。

    習合は日本に限ったことではなく(キリスト教圏のハロウィンもそうでしたよね。)、インドでも多く見られました。

    バラモン教から、仏教等の要素を取り入れてヒンドゥー教が生まれ、ヒンドゥー教の要素を取り入れて、密教が生まれました。

    習合の結果でした。
引用返信/返信 削除キー/
■9226 / inTopicNo.27)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ エフニ -(2020/11/20(Fri) 00:51:51)
    >供養の具体的な中身ってなんでしょ。<

    仏壇に毎朝水をあげる。

    炊けた御飯の最初のものを仏壇にあげる。(中部地方では、おぶく様をあげると言っていました。)

    人によっては、般若心経を読経する、写経する、などもあげられます。

    メインは招魂、招魄の儀式ですね。

    招魂の儀式とは何のことはない、位牌やお墓に線香をあげることです。

    儒教の世界では、天球は有限とされ、空中には無数の魂が漂っています。

    先祖は子孫が香を焚くのを待っています。

    招魄の儀式は、地面にお酒をまくことです。

    家庭内では出来ないので省略します。

    お墓でも、そこまでやる人はまずいません。

    仏壇やお墓で線香をあげ、祈りを捧げれば、すべての子孫たちはシャーマンになっているのです。

    哥哥も妹君ちゃんも、お線香をあげればシャーマンだ〜〜ァ

    >いや〜〜ちょっとなあ。生きてるのも楽じゃなさそう。<

    ドンマイですね
引用返信/返信 削除キー/
■9081 / inTopicNo.28)  Re[13]: つばめさんへ
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 11:43:09)
    No9049に返信(pipitさんの記事)

    pipitさん。こんにちは♪

    > 先日はいきなりの長文を投稿いたしまして、失礼しました。

    いえ〜〜〜。全然失礼じゃないっす。

    楽しいし嬉しいし。エフ哥哥なんて、大喜びじゃないかなと。(⌒▽⌒)


    > テーラワーダ仏教も、変容はいろいろあるようで、又聞きなのですが、タイではお坊さまが宝くじの当選番号を占うお寺もあるみたいに聞いたこともあります(^^;)

    え〜〜〜。日本でもやっていそうですね。
    (・・・さすがに成功率低そうなのでやらないか。)

    私が聞いたタイの話で印象に残っている話は、友人が街を歩いていたら野鳥をいっぱいいれた大きな籠を持った男性がやって来て、自分にお金を払ってこれらの鳥を放せば功徳がつめると話しかけてきたということです。

    > なにもかも、変化していくところがあるのかもしれませんね。

    そですね。
    変化していくのだろうと。
    変化そのものはとても自然なことのように思われます。
    逆に、変化しないことの方が珍しいのかもですね。

    > そうですね、勉強するために大学に行くのと、悟るために出家するのと、一緒なかんじかもしれませんね。
    > 目的の実現に向かって、自らの行動を選択する。

    そうですね。
    思うに、在家は関係の中で生きているわけじゃないですか。
    商売をしたり、働いたり、親の財産で暮らしたり、というのは関係そのものみたいな話で、そんな関係の生活様式、エトスのなかで生きている。
    (最近エフニさんに教えていただきました。なんて便利な言い言葉だと思ったので個人的にこの言葉にいろんな意味を持たせすぎているかもしれません。まあ。その場合はエフニさんから優しいストップがかかると思っています。)
    だけど、悟りを目指す集団は日常生活の中にはなかったから出家を選択したのだろうなと思います。


    > 阿羅漢になると出家せざるを得ない、というのは、その図式とはまた別の現象かもしれませんね。
    >
    > おもしろいんですけど、初期仏教では、阿羅漢を無学、それ以外を有学、と呼ぶみたいなんです。
    > 阿羅漢になると学ぶことが残って無い、それ以外は学ぶことが残って有る、という意味みたいです。
    > 阿羅漢にとっての出家と、阿羅漢以外の出家では、ちょっと違うところがあるのかもしれませんね。

    仏教、難しすぎです。( ;∀;)

    阿羅漢さんが人なのか人でないのかさえ分からないです。
    お釈迦様が人か?と聞かれたら以前は人でしたが悟られて仏様になられましたと答えるようなものかな。


    > >何も知らない私が言うのも何ですが、直観的にそう思います。
    > でなければ、仏教がこうも大々的に広がる(人々に受け入れられる)理由がないかと。<
    >
    > わたしの場合、オタク的に初期仏教好きに偏向してるので、きちんと知識として仏教のことを知ってるわけでは全然ないのですが、大乗仏教によって、より受け入れられやすくなったのかもしれませんね。


    そうかもしれないですね。

    個人的には、大乗仏教=今日の日本の仏教(新興宗教含む)の姿と思うので
    大乗仏教を開いた教えそのものは素晴らしくても特に関心はないです。

    pipitさんのお話をお聞きして小乗仏教を考えた時、直伝の難しさのようなことを連想しました。
    それでもテーラワーダ仏教の方々の努力や行為があったから今日の仏教があるのだと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■9066 / inTopicNo.29)  Re[7]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 09:35:48)
    No8998に返信(エフニさんの記事)

    > 打ちつけられた写真は四枚組で、この写真に対する怨念が凄まじい。
    >
    > 結納式、結婚式、披露宴、そして同じ女性の水着姿(ビキニではない)の四枚です。
    >
    > この女性に身近な人間(恐らく女性)が打ちつけたのでしょう。
    >
    > 水着写真の顔の真ん中、心臓部分、下腹部(性器部分)に、五寸釘が打ちつけられています。
    >
    > 生きている他者による呪怨って、コワイ&#65533;

    *******************


    >>あ〜〜〜。神仏のタブーを犯したとき。<

    >女の子には関係ないですけど、端的にわかりやすい例を挙げれば、鳥居や墓石に立ち小便をすること。

    >これって、もろにタブー破りで、バチ(罰)が当たりそうですよね。

    ☆これって故意にやるわけなので、故意が働いた分だけ結果があるのではないかと。
    つまり、予測された結果(罰)ということですかね。

    > 生きている他者による呪怨って、コワイ&#65533;

    それ〜〜、経験がないからかもですが、他者からそんなに憎まれることは、感情的には嫌なことと思いますが、別に怖いとは思われないです。
    悪口の延長みたいな感じがして。
    例えば私を嫌いな人や私を邪魔だと思う人が私の悪口を私のいないところで言いまくったりしたとしても、私の耳に入らなければ何のことはないし、耳に入ったとしても対応を考えながら接していけばいいわけで別にどうこうというわけではないかなと。
    悪口を言いまくるだけじゃなくて、私の写真を木に張り付けてくぎを打ったとしても、なんだろ、ぞっとしながらもなにか興味深く思うかもしれない。

    そんな感じです。

    直接刺されたらさすがに怖いですが。










引用返信/返信 削除キー/
■9063 / inTopicNo.30)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 09:12:21)
    No8970に返信(エフニさんの記事)

    > ニーチェが全く同じことを言っていました。
    >
    > 「運命愛」


    え?・・・
    もしかしてあれっすか?
    ツァラトゥストラが言った「人生(試練よ)よもう一度」みたいな?

    あの。そんなに積極的なモノではございませんです。
    大体、「愛」はいらない。
    「愛」なんて語り始めること自体が意味のような気がして。

    好みとしては淡淡といきたいです。

引用返信/返信 削除キー/
■9062 / inTopicNo.31)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 09:05:28)
    No8969に返信(エフニさんの記事)

    > 祟りをもたらす怨霊も、この定義に当て嵌まるのです。

    はい。わかりました。
    説明、ありがとうございます。感謝♪

    貢物をどうぞ。

    この次に哥哥の見る月はわたしメからの贈り物です。
引用返信/返信 削除キー/
■9061 / inTopicNo.32)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 09:01:18)
    No8968に返信(エフニさんの記事)

    ☆曲、ありがとうございます♪

    私からのお返しは定番のこの歌です。↓

    「Flavor Of Life」 宇多田ヒカル


    >今夜は何となく、秋のせいなのか、ロマンティックな気分になっています。

    月のせいじゃないかと。
    そう言えば、夜眠るときに窓に月がいて、明け方もきれいな月がかかっていた日が多かった気がします。
    だから、ロマンティックなのは月のせい♪
    月星人に拉致された記憶がよみがえるとか?


    > 昨日の補足を若干いたします。
    >
    > 柳田國男は、山の神を元は人間、つまり人格神としていました。
    >
    > 「えっ?山の神って自然神じゃないの?」と思われたかも知れません。
    >
    > 元々の日本古代信仰は、自然神しか無かったのですが、農業が発達し、それにつれて村落共同体も発展してくると、昨日述べたように、新しく人格神が生まれてきます。
    >
    > そうして、高天原の神々は、自然神と人格神が共存していくことになります。


    ☆共同体の神は人格神なわけですね。
    分かる気がする。(トンデモな方向にかもだけれど)
    山に住む人々と里で死んだ人は神になる(人格神・・・かな?)からかな。


    >そうして、高天原の神々は、自然神と人格神が共存していくことになります。

    は〜い。

    戦争しなくてよかった♪
引用返信/返信 削除キー/
■9058 / inTopicNo.33)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/15(Sun) 08:33:13)
    No8928に返信(エフニさんの記事)

    >神道という形式が確立される前の、素朴な当時の日本人の信仰は、いろいろな要素に分かれていました。

    >死んだ人は黄泉の国にも行くし、神となって高天原にも行きます。


    ☆「いろいろな要素」というのは、生活様式や習慣、集団によって分かれていたという事でしょうか。
    その中で死んだ人は、黄泉(あの世、こことは違う世)に行くし、神となり高天原にも行く。

    ・・・なんというか、人は死んだら消えるとはずっと昔から思っていなかったのだなと。
    どこかで消滅せずに生きている、と思っていたわけですね。
    「魂魄」かな。
    私、宗教と信仰がどう違うかわからないけれど、「人(魂)は永遠に死なない。」と言っているのが宗教のような気がしています。


    >そして、アニミズムからやっと脱出しつつあった当時の古代社会では、自然現象や自然物、無生物も八百万神に入れられていました。

    >ですから、元々の神様だけでなく、死んだ人、山、海、太陽など、みんな神様でした。

    ☆これ、わかる気がするんです。
    日本神話の神様って八百万神ですよね。
    それから、以前友達のおじいちゃんが猫に真剣に話しかけているのを見たことがありまして、どうも自分の言葉が猫に通じていると信じているように見えました。
    何というのかなぁ。思い出すそんな光景の先に動物や無生物にも魂を見る習慣(エトス)があったのだろうと思います。


    >本居宣長は、「世の常ならず、すぐれたることありて可畏(かしこ)きもの」、つまり、「この世のものと思えないほど不可思議で畏れ多いもの」をすべて神と考えたと述べています。


    ☆「可畏(かしこ)きもの」ですか・・・。

    何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる  西行

    ・・・ですかね。

    自分にとって善きものも悪しきものも「「世の常ならず、すぐれたることありて可畏(かしこ)きもの」であるならば神として受け入れる心性(エトス)のようなものかな。
    より大きなもの、畏怖を感じるものに対して人の心は崇高さを感じるようにできているらしいので、その考えに添えば本居宣長の言はなるほどと思います。
    ・・・すべてを神と考え受け入れれば流すこともできる(・・・つまり不幸な出来事も自分に責任があるわけではないので再起が容易である)、みたいな感じがします。


    >柳田國男によれば、死者の霊は、山や森に行って一定期間過ごしてから、神に成ります。

    そして祭のときに里に降りて来て、子孫に幸福をもたらします。

    祭以外のときは、丘の上から子孫を守護し、子孫は祖先の霊を厚く祀ります。

    死者の霊が祖霊となって、それから山の神や、田の神、祖先神、鎮守の神、氏神など、いろいろな神々に成っていくとされています。

    ここには儒教と違った、日本独特のエトスがありますよね。


    ☆はい。不思議ですよね。
    どこから来た風習、習慣、エトスなのだろうか。
    すごく幸福な感じがする。
    ええと。死んですぐには神様にならないわけですね。
    山や谷で一定期間を過ごし、それから神になり里山みたいなところにいて
    死んでからもずっと自分が生まれ育ってきた土地に居続けるわけです。
    なんだか懐かしいような感じもします。
    お墓はどうしていたのだろうか。
    やはり、家族のそばに葬られていたのだろうか。
    それとも、日当たりの良いような場所を選んで埋葬されていたのだろうか。

    なんとなく、よくわからないこの歌が思い出されて。

    青旗(あをはた)の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に逢はぬかも

                                 倭姫王

引用返信/返信 削除キー/
■9049 / inTopicNo.34)  つばめさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/11/14(Sat) 23:27:35)
    つばめさん、こんばんは。
    先日はいきなりの長文を投稿いたしまして、失礼しました。
    やさしいお返事ありがとうございます。

    No9044に返信(つばめさんの記事)
    >以前研究の為にタイに滞在していた友人からタイの人々の仏教の話を聞いたことがあり同じ仏教でもずいぶん違うのだなと思ったことがありました。
    友人は「小乗仏教だから。」と言っていました。
    詳しい内容は忘れてしまいましたが、在家の人、庶民?は徳のある人(お坊さんかな)にすがって?成仏する?みたいな。(・・・もう。忘れすぎ(・・;)
    在家と出家が明確に分かれているのだろうと思います。
    (日本のお坊さんは、どうも在家ですよね・・・)<

    テーラワーダ仏教も、変容はいろいろあるようで、又聞きなのですが、タイではお坊さまが宝くじの当選番号を占うお寺もあるみたいに聞いたこともあります(^^;)
    なにもかも、変化していくところがあるのかもしれませんね。
    現代の日本のお寺のお坊さまにも、いろんな活動を模索されてる方もおられるみたいですね。

    >よくわからないのですが、・・・「出家」とはなにか?という事が気になりました。
    出家しないで済む(在家のまま)のならば、「出家」という出来事?現象?概念などはなから無かった。在家のままで悟るわけですよね?
    在家ではいられなかったから出家して集団・組織に入って・・・なんていうのかなぁ。わからないけど悟りを目指した?と思うのです。 <

    そうですね、勉強するために大学に行くのと、悟るために出家するのと、一緒なかんじかもしれませんね。
    目的の実現に向かって、自らの行動を選択する。

    阿羅漢になると出家せざるを得ない、というのは、その図式とはまた別の現象かもしれませんね。

    おもしろいんですけど、初期仏教では、阿羅漢を無学、それ以外を有学、と呼ぶみたいなんです。
    阿羅漢になると学ぶことが残って無い、それ以外は学ぶことが残って有る、という意味みたいです。
    阿羅漢にとっての出家と、阿羅漢以外の出家では、ちょっと違うところがあるのかもしれませんね。
    あまり考えたことのないことを、つばめさんのおかげで考えました、
    ありがとうございます(^ ^)

    >不還果(の悟り)までは在家のままでなれるというわけですね。
    で、不還果は天界に生まれてしまう(輪廻してしまう)けれど、天界ですごした後に自動的に阿羅漢となり・・・もう輪廻の輪から外れる?輪廻しない存在になる、ということですよね。
    解脱・・・かな?<

    そうかなーと、私は思ってます。違ってたらすみません。


    >しかし、阿羅漢さんになれば普段はどこにいるのだろうか。阿羅漢さんは仏のことだよね?<

    ここらへんは、いろいろな意見があるみたいです。
    わたしは、どういうことなのかを、いつか自分で確かめることができたらうれしいなと思っています。(今世では諦めぎみかもですf^_^;)

    >阿羅漢が60人ですか。なんかすごい集団という感じがします。
    ・・・阿羅漢って輪廻しない人のことですよね?<

    少なくとも初期仏教ではそのように教えられてると思っています。

    >何も知らない私が言うのも何ですが、直観的にそう思います。
    でなければ、仏教がこうも大々的に広がる(人々に受け入れられる)理由がないかと。<

    わたしの場合、オタク的に初期仏教好きに偏向してるので、きちんと知識として仏教のことを知ってるわけでは全然ないのですが、大乗仏教によって、より受け入れられやすくなったのかもしれませんね。

    お返事嬉しかったです、ありがとうございます(o^^o)

引用返信/返信 削除キー/
■9046 / inTopicNo.35)  Re[7]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/14(Sat) 22:18:29)
    No8926に返信(エフニさんの記事)

    > 訂正。
    >
    > 高天原にめ → 高天原にも


    ごめんなさいでした。
    せっかく哥哥が訂正してたのにそのままコピーしてしまいました。
引用返信/返信 削除キー/
■9045 / inTopicNo.36)  Re[6]: しかし、何だべな。
□投稿者/ つばめ -(2020/11/14(Sat) 22:16:13)
    No8925に返信(エフニさんの記事)

    こんばんは♪

    > それでね、妹君ちゃんが「エトス命」って書いたのを、「エフニ命」と見間違えて、ドキドキしちゃった哥哥なのでありました&#65533;

    哥哥でも見間違えをすることがあるのですね。(⌒▽⌒)
    安心しました♪


    > 神道という形式が確立される前の、素朴な当時の日本人の信仰は、いろいろな要素に分かれていました。
    >
    > 死んだ人は黄泉の国にも行くし、神となって高天原にめ行きます。


    そうなのですね。



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