| ■7747、pipitさま
>再現性< っていうのどういう意味なのかわかんない。 ん〜、たとえば生まれかわることができるとか?科学的な再現できることとか?前に見たハサミを今ここで見ているものをハサミであるって認識(同じものとして見ることが)できることとか?
わたしのばあいメルロ哲学を読むなかで いつも最初からやりなおす、とか永遠の初心者、っていうことにしてるの。 何歳になっても初心者っていう感じかな? こうなると、おまえはバカか?こんなことも知らないのか?みたいにいわれるかもしれないこど。
仏教ってわたしも宗教の一つだと思ってる。 でもね、じゃあ「宗教」ってなあに?っていう問いがうまれるのよね。 んでね、 「宗教とは何か」っていう本を読んだんだけど
〔「宗教」の生誕 ―― 近代宗教概念の生成と呪術〕 と題して、深澤英隆さんが書き出しの部分を抜粋して見ますね。
〔今日自明なものと通用している基本概念が近代において「誕生」したものであるという、諸概念の誕生譚は、いまやひとつの物語形式と化している。あるものとは何か、あるいは、あるものとはどうあるべきか、という語りは、そこではそのあるものが近代という一定の時代の内的力学によっていかにしてある輪郭をもった「もの」として表象され、実体的に概念化されるに至ったか、をめぐる物語におきかえられる。人間、内面性、風景、恋愛、芸術等々、さまざまな概念が、こうしてその実体性を剥奪されてきた。こうした物語が、知的操作として、定型化してきたかぎりにおいて、私たちは、この種の物語にいささか食傷してもいる。「近代」という隠語が、この物語の影の主役として、それ自身ある実体を帯びてしまうことも気にならずにはいられない。とはいえ、こうした物語が社会に浸透し、多くの人びとが概念の脱物象化を生きているかというと、それは全く疑わしい。社会に流通している言説のほとんどは、あいかわらず慣習化された概念使用のうえに成り立っている。一方、概念の誕生譚は、たしかにひとつの物語であるが、同時に、ものの語りとしての既存の物語の解体でもある。斬新な物語形式としての魅力は薄れたにしても、ある概念を系譜学的に問いなおすこの誕生物語は、なお多少とも創造的なしかたでその概念/語彙を語りつぐための、避けて通れぬ前提であることは間違いない。 「宗教」の概念その例にもれない。私たちが日本語で宗教について語ること、その足下からはじめてみる。 ‥‥〕
こんなことが書いてあったよ。
ここに「呪術」ってあるよね。 これ、わたし的にレヴィ=ストロースに結びついていて、■7742で書いたように >悪魔ちゃんの宗教のイメージ、なんかあるの?< に対するわたしの返事として「religion」ッテ書いたの。もっとも日本語では「宗教」って訳されちゃうけどね。 あ、それとね、わたしのばあい「アプリオリ」とも結びついていくのよね。
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