(現在 過去ログ1 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■9720 / inTopicNo.37)  パニチェさんへ
  
□投稿者/ pipit -(2020/12/05(Sat) 18:47:37)
    こんばんは、いろいろ調べていただいてありがとうございます!
    そうなんですね、まだはっきりとわからないのですね。

    でも、釈尊が戒名授けてたら素敵だなぁ、と、想像しました(#^.^#)
    ごめんなさいなんて、とんでもないです(^人^)
    そのような可能性に思いを馳せるだけでも、自由の風を感じるようで、楽しくなります。

    いつもありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■9718 / inTopicNo.38)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/12/05(Sat) 18:40:37)
    みのりさん、こんばんは(^○^)

    >宇宙の外側から自分たちを見た人はいないのに、私たちがいるということになっているというのはどういう仕組みなのか?
    というのが、私にとっては絶対に解けない謎なのですが(笑)、それはそれとして置いておいて、生きている今を心安らかに過ごしていきたいものだな、と思います。

    (先日、ななしさんにさせていただいたのと同じ質問をpipitさんにもしてみよう、と思い立ち、今このあたり編集してます。)

    >>宇宙の外側から自分たちを見た人はいないのに、私たちがいるということになっているというのはどういう仕組みなのか?

    pipitさんはこんな疑問を持たれたことはないですか?
    お答えを聞いた後、それについての話を展開したいとかは思ってなくて、単に他の人はどうなんだろう?という素朴な疑問なので、あるかないかだけでいいので教えていただけると嬉しいです。
    リアルで誰かにこんな質問したら、「アタマだいじょうふ?」になりそうなので。(;^_^A<

    全然なんでもお好きに書き込みしてくださいね!


    前にみのりさんの書き込みを読んだ記憶では、
    わたしがリンゴを見ることで、リンゴが存在するということになる。
    が、前提としての、上記の疑問だと思ってるのですが、その前提で返信してみますね。
    (勘違いしてたら教えていただけると嬉しいです。)

    これ、pipit としては、
    みのりさんにとって、地球がある、人間がいる、ということになってる、といっても、
    リンゴと認識システムは同じにみえるのですが、いかがでしょうか?

    みのりさんが見ることによって、人間がいる。
    みのりさんが見ることによって、大地がある。
    みのりさんが見ることによって、私(みのりさん)がいる。

    どうでしょうか??


引用返信/返信 削除キー/
■9712 / inTopicNo.39)  一部訂正>pipitさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2020/12/05(Sat) 11:03:15)
    2020/12/05(Sat) 16:25:57 編集(投稿者)

    レスありがとうございます。

    No9708に返信(pipitさんの記事)

    >>さらに当時の名前は身分が分かるようになっており、出家し仏弟子となった者は世俗での身分や地位を捨てさせ平等となるよう戒名させたあたりも仏教ならではのしきたりでもある(現在は戒名に位を付けることで高値で売る詐欺のようなうトンデモ仏教を檀家制度に胡坐をかいたボウズどもが当たり前にやってますが)。<

    > そうなのですね、教えていただいてありがとうございます!
    > 道理で、詩句内容に都合の良いお名前がいっぱいなんですね。納得できました(^ ^)
    > 新しいお名前、とても嬉しかったでしょうね。
    > 今の日本の戒名制度は、それを思うと、本来の在り方から逸れてしまってる気がしますね(^^;)

    戒名のもともとの目的とか、仏弟子が世俗での身分に関係なく平等に扱われていた等々は先のレス通りですが、あらためて釈尊の時代に戒名されていたかどうかについての出所を調べてみたのですが、戒名の起源は釈尊の入滅後という説が有力のようです。
    今のところは釈尊自身が戒名させていたという文献が見つかりません。どこかで読んだ記憶があり引き続き探してみますが、上記はガセネタである可能性もありますので訂正しておきます。

    ごめんなさい。^^;


引用返信/返信 削除キー/
■9711 / inTopicNo.40)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2020/12/05(Sat) 10:38:07)
    2020/12/05(Sat) 11:44:00 編集(投稿者)

    No9702に返信(pipitさんの記事)

    pipitさん、こんにちは。 レスありがとうございます。

    > p265の注釈のページには、『スニータ ー Sunitaは王舎城における掃除人夫であったが、ブッダに会って出家した。sunitaとは、「行ないの良い」という意味である。』
    > とありました。

    スニータとはそういう意味だったのですね。
    心が綺麗で行いも素敵な人だったのでしょうね。

    > 道子先生は多方面の深い知識があり、感受性も豊かで、しかも、とても親切に答えてくださるので、みのりさんにとって、道子先生との対話は、仏教についての新しい体験があるかもしれませんね(^ ^)

    飾らない素のありのままでいるということと、自律を共存していくこと。
    両方を矛盾なく両立できたらいいなと、それが私にとっては大切なことでもあるな、と先生とのやりとりを通じ、自分のなかで感じました。

    あらためて仏教の難しい理論的な部分を勉強していこうという気持ちは今はないので、またHPに投稿する機会もないとは思うのですが、先生の人としての温かさや心の広さには、自分もそうであれたらいいな、と思いました。^^


    > ちなみに、この内容は、いろんな経典にもありそうなので、
    > このスニータ長老の詩句に限られて出てくるものではないようです。
    >
    > 例えば、ダンマパダの第26章は『バラモン』となってて、
    >
    > その中の一つ、393では、
    > 『螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法を守る人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである。』
    >
    > とあります。
    >
    > 仏教にとって、とても大切な教えだから、いろんな箇所で説かれているのかなと思いました。

    インド社会でいかにカーストの影響が大きいかが窺えますね。

    安楽でいられるかどうかは、その人の地位や形式的なもので決まるのではなく、心がけと言動によるのだという教えは人に希望を与えるものですね。
    そして、実際に心がけようと決意したなら、普通に暮らしながらでも生活の中でしていくことは可能だというところが優れているし、理にかなっていると思います。

    宇宙の外側から自分たちを見た人はいないのに、私たちがいるということになっているというのはどういう仕組みなのか?
    というのが、私にとっては絶対に解けない謎なのですが(笑)、それはそれとして置いておいて、生きている今を心安らかに過ごしていきたいものだな、と思います。

    (先日、ななしさんにさせていただいたのと同じ質問をpipitさんにもしてみよう、と思い立ち、今このあたり編集してます。)

    >>宇宙の外側から自分たちを見た人はいないのに、私たちがいるということになっているというのはどういう仕組みなのか?

    pipitさんはこんな疑問を持たれたことはないですか?
    お答えを聞いた後、それについての話を展開したいとかは思ってなくて、単に他の人はどうなんだろう?という素朴な疑問なので、あるかないかだけでいいので教えていただけると嬉しいです。
    リアルで誰かにこんな質問したら、「アタマだいじょうふ?」になりそうなので。(;^_^A

    > あっという間にお正月ですが、今年はコロナ禍のため、集まりはなしになりました。
    > 気楽なお正月で、まったりできるといいなと思っています。

    後になって、「コロナたいへんだったよね〜」と言い合えるような時が早く来るといいですよね。

    > またいつでも、遊びに来てくださいね〜(^O^)/

    ありがとうございます。(^^♪
引用返信/返信 削除キー/
■9708 / inTopicNo.41)  パニチェさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/12/05(Sat) 09:58:12)
    おはようございます、コメントありがとうございます(^ ^)

    > 同意です。初期仏典が釈尊の教えに近いとすれば。。。
    > 当時の仏教がバラモン教の新派、あるいは改革派であった所以はこの辺の教義にあると思われます。
    >
    > カースト制度の正当性は前世からのカルマを前提としており、前世までの行いによってどの身分に生れるかが決まります。「生れによって身分が決まる」という要素が強いのがバラモン教であり、仏教は「生れでなく行為によってバラモンとなる」と教えます。<

    仏教教団に入ると、当時の制度から逃れられる、というのも、奇跡的なことだと私は驚いています(O_O)
    出家すると、男女問わず、カースト制度から抜け出せて自由になれる、
    殺人を犯した方であっても、その方を逮捕できないケースもある。
    それを、現実のこととして考えた時、
    すごいことを、お釈迦さまは為されたのだな、と、思います。


    > さらに当時の名前は身分が分かるようになっており、出家し仏弟子となった者は世俗での身分や地位を捨てさせ平等となるよう戒名させたあたりも仏教ならではのしきたりでもある(現在は戒名に位を付けることで高値で売る詐欺のようなうトンデモ仏教を檀家制度に胡坐をかいたボウズどもが当たり前にやってますが)。<


    そうなのですね、教えていただいてありがとうございます!
    道理で、詩句内容に都合の良いお名前がいっぱいなんですね。納得できました(^ ^)
    新しいお名前、とても嬉しかったでしょうね。
    今の日本の戒名制度は、それを思うと、本来の在り方から逸れてしまってる気がしますね(^^;)



    > 十四無記においては死後など形而上学的な問いは無記としながらもスッタニパータなどの初期仏典には地獄の記述もあるし、菩提樹の下での瞑想にも釈尊の過去世を観ずるところもある。
    >
    > 死後や来世については現世での苦の軽減や滅却という目的のために用いられた方言や譬えであるのか、釈尊の過去世については大乗以降の神格化(本仏論)による創作であるのか、それとも釈尊自身がバラモン教の伝統でもある前世からのカルマを認めていたのか不明ではあるが、<

    初期仏教では、過去世を観る能力などは、修行が進むと得る能力、ということになっていて、(私見のべると、輪廻の世界を見限るためにこの能力を使う感じを受けています。)
    バラモン教そのままの教義ではなく、釈尊が自ら知った事実としての『業』のなんらかの働きは事実である、という選択肢も残っていると私は思っています。
    ですが、初期仏教では、しかたないもんはしかたないものでほっといて、今ここで自らが出来ることに全力集中するように教えられているのではないかと思っています。

    雨が降ってる時、濡れるのが嫌なら、傘をさせばいい、
    洪水がくるなら、避難すればいい、という感じです。


    人の生まれで、人を差別する悪行為を防ぐためか、いろんなエピソードが残されているようです。
    わたしの知ってるテーラワーダさんの教義では、死ぬ瞬間の心が、次の生まれに繋がるので、
    悟ってない限り誰でも危ないんだ、という感じです。


    > あくまでも今まさに生きている人を対象とした実存的な教義であったことは間違いないとは思います。<

    はい、私もそう思っています。
    生きてる間になにするか、が、仏教の心臓部だと、思っています。


    戒名の由来も知れて、とても嬉しいです。書き込みありがとうございます!





引用返信/返信 削除キー/
■9705 / inTopicNo.42)  行為かカルマか
□投稿者/ パニチェ -(2020/12/05(Sat) 08:21:32)
    2020/12/05(Sat) 10:13:19 編集(投稿者)

    おはようございます、pipitさん。横レス失礼します。

    No9702に返信(pipitさんの記事)
    > その中の一つ、393では、
    > 『螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法を守る人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである。』
    > とあります。
    > 仏教にとって、とても大切な教えだから、いろんな箇所で説かれているのかなと思いました。

    同意です。初期仏典が釈尊の教えに近いとすれば。。。
    当時の仏教がバラモン教の新派、あるいは改革派であった所以はこの辺の教義にあると思われます。

    カースト制度の正当性は前世からのカルマを前提としており、前世までの行いによってどの身分に生れるかが決まります。「生れによって身分が決まる」という要素が強いのがバラモン教であり、仏教は「生れでなく行為によってバラモンとなる」と教えます。

    さらに当時の名前は身分が分かるようになっており、出家し仏弟子となった者は世俗での身分や地位を捨てさせ平等となるよう戒名させたあたりも仏教ならではのしきたりでもある(現在は戒名に位を付けることで高値で売る詐欺のようなうトンデモ仏教を檀家制度に胡坐をかいたボウズどもが当たり前にやってますが)。

    十四無記においては死後など形而上学的な問いは無記としながらもスッタニパータなどの初期仏典には地獄の記述もあるし、菩提樹の下での瞑想にも釈尊の過去世を観ずるところもある(悟った際に過去世の生涯を観ずるという考え方はウパニシャッドにあるらしく、後世の結集でこれに影響されたためか)。

    死後や来世については現世での苦の軽減や滅却という目的のために用いられた方言や譬えであるのか、釈尊の過去世については大乗以降の神格化(本仏論)による創作であるのか、それとも釈尊自身がバラモン教の伝統でもある前世からのカルマを認めていたのか不明ではあるが、あくまでも今まさに生きている人を対象とした実存的な教義であったことは間違いないとは思います。

引用返信/返信 削除キー/
■9702 / inTopicNo.43)  みのりさんへ
□投稿者/ pipit -(2020/12/04(Fri) 22:47:39)
    こんばんは!書き込み嬉しいです、ありがとうございます(o^^o)

    中村元先生が岩波文庫から『仏弟子の告白テーラーガーター』という文庫本を発行してて、手元にあるので、スニータ長老の詩句(文庫本p135)を読んでみました。

    感動的な詩句ですね。

    p265の注釈のページには、『スニータ ー Sunitaは王舎城における掃除人夫であったが、ブッダに会って出家した。sunitaとは、「行ないの良い」という意味である。』
    とありました。

    「熱心な修行と清らかな行ないと感官の制御と自制と、―これらによって、ひとは、バラモンとなる。これが最上のバラモンたる境地である。」

    にもマッチしますね。(^○^)

    「素のありのままの自分でいつもいたい」と願う人を後押しする言葉として仏陀ならどんな言葉を送ってくれるでしょうか。」という質問への、応えの詩句に、スニータ長老のこの詩句を選ばれるのはすごいなと感じました。
    道子先生は多方面の深い知識があり、感受性も豊かで、しかも、とても親切に答えてくださるので、みのりさんにとって、道子先生との対話は、仏教についての新しい体験があるかもしれませんね(^ ^)

    ちなみに、この内容は、いろんな経典にもありそうなので、
    このスニータ長老の詩句に限られて出てくるものではないようです。

    例えば、ダンマパダの第26章は『バラモン』となってて、

    その中の一つ、393では、
    『螺髪を結っているからバラモンなのではない。氏姓によってバラモンなのでもない。生れによってバラモンなのでもない。真実と理法を守る人は、安楽である。かれこそ(真の)バラモンなのである。』

    とあります。

    仏教にとって、とても大切な教えだから、いろんな箇所で説かれているのかなと思いました。

    書き込みありがとうございます(o^^o)
    あっという間にお正月ですが、今年はコロナ禍のため、集まりはなしになりました。
    気楽なお正月で、まったりできるといいなと思っています。

    どんどん寒くなりますけど、どうぞみのりさんも体調万全でありますように。
    おつかれさまです!

    またいつでも、遊びに来てくださいね〜(^O^)/

引用返信/返信 削除キー/
■9699 / inTopicNo.44)  pipitさんへ
□投稿者/ みのり -(2020/12/04(Fri) 21:35:08)
    pipitさん、こんばんは。
    ロムしていたら、こちらにpipitさんのご投稿があったので、思わず私も投稿させていただきたくなりました。

    テーリーガーターではなく、テーラーガーターのお話で恐縮なのですが・・・。
    マニカナの石飛先生に先日、私は、「素のありのままの自分でいつもいたい」と願う人を後押しする言葉として仏陀ならどんな言葉を送ってくれるでしょうか。」という質問をしたんですね。

    それでいただいた答えは、

    「熱心な修行と清らかな行ないと感官の制御と自制と、―これらによって、ひとは、バラモンとなる。これが最上のバラモンたる境地である。」
    という、スニータ長老に送られた言葉でした。

    この言葉は有名なので(だと思います。私でも知ってるので。)なんとなく知ってはいたのだけど、スニータ長老(尊者)というお名前は知らなかったし、その身の上(不可触民)だったらしいというのも私は存じていませんでした。

    pipitさんもよくご存じのある人が・・・マニカナで乱投してるのを見たので話しかけに行ったりしてて、そうした中で先生に質問して教えていただいたのが上の言葉です。

    先生は気さくで心の広い方ですね。(pipitさんもたしか、先生をご存じですよね。)

    なんだかほんとに後押ししていただいたような気持ちになり、感動してしまったんです。
    その言葉のようにはなかなか至らないですけど、忘れないでいたいなと思いました。


     ところで、もう12月。 早いよね〜。 お正月もすぐ来るね。(^▽^;) 
引用返信/返信 削除キー/
■9698 / inTopicNo.45)  テーリーガーター 1-3
□投稿者/ pipit -(2020/12/04(Fri) 21:00:51)
    こんにちは。わたしの知ってるサイト(Access to Insight)上に英訳があるテーリーガーターを読んでみようかと思います。

    1-3.プンナー長老尼の詩句です。

    まず、パーリ語の詩句を。(記号は入力できません)

    1. 3
    3. Punno purassu dhammehi cando pannarasoriva,
    Paripunnaya pannaya pamokkhandham padalayati.

    Ittham sudam punna theri gatham abhastthati.

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/Thi_utf8.html#v.3


    それで、パーリ語の辞書を調べたのですが、形が変化してたりで難しくて、私には意味がきちんとはとれませんでしたm(_ _)m

    ので、パーリ語で理解するのはあきらめて、中村元先生訳を岩波文庫で読みました。

    Thanissaro比丘さまの英訳を引用させていただきます。

    I.3 ― Punna {v. 3}


    Punna, grow full with good qualities
    like the moon on the fifteenth day.
    With discernment at total fullness, burst
    the mass
    of darkness.

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/thig/thig.01.00x.than.html#sutta-3

    プンナー長老尼なのですが、辞書では同じ綴りではないのですが、福徳などの意味でpunnaと載ってます。
    ということは、、、もしかして、、、
    福子さん、とか、徳子さん、とかのお名前かもで、

    仮に徳子さんとして、名前にかけて、

    『十五夜の月のように、もろもろの【徳】を完成せよ。』(中村元先生訳、岩波文庫『尼僧の告白テーリーガーター』p7)

    とうたわれたのかもしれません、と思いました。

    真実か否かはわかりませんが、注釈書の話では、釈尊がそれぞれの尼僧に説かれたものを、それぞれの尼僧が自分の詩句として日々唱えてた、という話も本で読んだこともあります。テーリーガーターの中にはそのような詩句も入っているとされているのかもです。

    釈尊から、
    『Punna, grow full with good qualities
    like the moon on the fifteenth day.
    With discernment at total fullness, burst
    the mass
    of darkness.』
    なんておっしゃってもらえると、修行、めっちゃがんばります!!! な気持ちになりそうと個人的には想像しました(#^.^#)


引用返信/返信 削除キー/
■9467 / inTopicNo.46)  Re[39]: テーリーガーター1-1
□投稿者/ pipit -(2020/11/25(Wed) 19:10:33)
    よくは知らないんですけど、パーリ語って、多分最初のうちは音で伝わってきて(口伝)、
    だから、下記の場合、音をローマ字表記したもの、ってなるのではないかと
    私は思っています。

    (・・?)
引用返信/返信 削除キー/
■9465 / inTopicNo.47)  Re[38]: テーリーガーター1-1
□投稿者/ pipit -(2020/11/25(Wed) 19:06:32)
    せっかくだから、パーリ語でまとまったものを投稿します。
    パーリ語の記号は入力できませんm(_ _)m

    1. 1
    1. Sukham supahi therike katva colena paruta,
    Upasanto hi te rago sukkha dakam kumbhiyanti.

    Ittham sudam annataratheri apannata bhikkhuni gatam
    abhasittha'ti

    Annataratherigatha.

引用返信/返信 削除キー/
■9464 / inTopicNo.48)  テーリーガーター1-1
□投稿者/ pipit -(2020/11/25(Wed) 19:01:02)
    こんばんは。
    勉強スタイルのお試しとして、投稿します。

    テーリーガーター(長老尼偈)にある偈のパーリ原文をコピペして(文字化けするので記号ついてるものは、普通のアルファベットに置き換えました。)、水野弘元先生の『パーリ語辞典』春秋社で、単語をひいて( )に入力したり、感想を書いたりしました。
    そして最後に、Thanissaro比丘さまの英訳をコピペさせていただきます。

    ※※※※※※※※

    https://www.accesstoinsight.org/

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/Thi_utf8.html#v.1



    Ekakanipato. (ekaka一つの・nipata集)
    中村元先生は〈一つずつの集〉と訳されてます。中村先生の訳は心にやさしく、染み入る気持ちになります。意味的には、一行詩ってかんじですね。二行詩、など行数が、増えていきまして、最後らへんは、中村先生訳で〈四十の詩句の集成〉などになります。四十行の詩句ですね。

    1. 1
    1. Sukham(sukha安楽、幸福)supahi(supati眠る)therike (therika長老尼)katva(karoti行う、つくる)colena(cola布)paruta(?),
    Upasanto (upasamati静まる)hi (実に)te (tam汝は)rago(raga貪欲)sukkha dakam(sukkha乾いた、daka野菜) kumbhiyanti. (kumbhi大釜、yati行く)

    Ittham(かく、かかる)sudam(まさに)
    annataratheri(ある長老尼)apannata(知られざる)bhikkhuni(比丘尼)gatam(偈)
    abhasittha'ti(abhasita所説なき)
    Annataratherigatha.


    ※※※※※※※※

    (英訳)

    Chapter 1: The Single Verses

    I.1 ― An Anonymous Bhikkhuni {v. 1}


    Sleep, little theri, sleep comfortably,
    wrapped in the robe that you've made,
    for your passion is stilled ―
    like a pot of pickled greens
    boiled dry.


    translated from the Pali by
    Thanissaro Bhikkhu

    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/thig/thig.01.00x.than.html#sutta-1
引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -