■9804 / inTopicNo.16) |
時さんへ
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□投稿者/ pipit -(2020/12/07(Mon) 07:00:01)
| ■No9795に返信(pipitさんの記事) No.9757 時さん、こんばんは。書き込みいただき、すごく嬉しいです(o^^o) ありがとうございます!
妄執想の原語は何だろう?と、光明寺経蔵さんのサイトで経文を読ませていただきました。
パーリ語の記号は記入はできないのですが、
papancasannasankhaya
なんですね! パパンチャ サンニャー サンカーヤ
パパンチャは、サンスクリット語では、プラパンチャになるのかな? サンニャーは単体では想と日訳されてて、概念とかそんな意味かな?
papancasannasankhaya → vitakke(尋、大まかな思考)→
chande(欲)→ piyappiyan(スキキライ)
かぁ。。。
英訳ではpapancasannasankhayaをどう訳してるのかな、と思って、見てみると、『the perceptions & categories of objectification(客体化の知覚とカテゴリー?)』とあって、そんな認識生成の原点を、papancasannasankhayaの訳語に当てるなんて、厳しいな〜と思いました。分別から客体を作り出す働きっぽいところを意図してるのかな??
『When the perceptions & categories of objectification exist, thinking comes into being. When the perceptions & categories of objectification are not, it doesn't.』
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/dn/dn.21.2x.than.html
ちょっと興味が出て脇道にそれてしまいましたが、
自分のしている思考が、滅苦につながるのか、増苦につながるのかは、常に自己チェックするのが理想なんだろうなぁと、思いました、、、けど、ほとんど増苦の思考ばっかりな気もします_| ̄|○
あかんたれなpipit です。。。
時さん、本当にありがとうございます。
『妄執想(妄想が高じて、ある特定の考えに囚われてしまう事)』という言葉を、気をつけないといけないよ、という意味での、わたしの心のおまもりにできたらいいな、したいな、と、思いました。
でも、、、あかんたれです〜_| ̄|○
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