| たーぼーさんこんばんは 横レス失礼します。
> 十二縁起で説明すると、無明→行→識→名色→------- > 名色とは、名(精神的要素)受、想、行、識 色(物質的要素) > ここでおかしいと思いませんか?三番目に識があるのに四番目の名色にも識がある! > この三番目の識が西田幾多郎のいう認識以前の認識=純粋認識なんです。 > この三番目の識は言語を越えている。言語以前の認識です。 > この三番目の識では相依性縁起という認識は持てないんです。 > 四番目の名色のなかで最初に働くのは受(感受)と色(物質的要素)です。 > しかし、三番目の識と四番目の名色の受と色までのところは、言葉にならないところですよ。 > 言葉という二元ツール以前のとこです。だからここまでが勝義諦ですよ。 > 四番目の名色の想、行、識に至って相依性縁起だと認識出来るがその時にはもう空と自分を分けてる。
ヴィトゲンシュタインは別として、仏教瞑想における重要なターニングポイントだと思うのでカキコミします。
ヴィパッサナー瞑想で特に重要な関門が、四番目の名色を分離して捉える名色分離智とされています。ヴィパッサナーとは絶えずマインドフルに気づきを入れていく方法ですが、受に対する反応で名色分離智が達成されないとそれ以上深いところに進めません。
他方、すわりこんで無になって禅定に入ろうという禅は、たーぼーさんのいう三番目の識にいきなり入ろうとする。見性とはそういうものでしょう。
まったく正反対です!
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