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■7499 / inTopicNo.85)  Re[15]: 気づき
  
□投稿者/ minori -(2020/10/08(Thu) 16:49:00)
    No7496に返信(マジカルモンキーさんの記事)
    > こんにちわ、minoriさん
    >
    > 貴女様の「気づき」のテーマに関する哲学、
    > とてもワクワクしながら拝見しております。
    >
    > 私は数列や美意識などで、気づいていきます。
    >
    > 「 流れ・構成が何か気持ち悪いな… 」と感じたら、「気づき」ますね。


    マジモンさん、こんにちは。 レスありがとうございます。

    私が書いた「気づき」の話。分かりずらいというか、意味不明だと
    思われる方がほとんどかな、と思ってたんですが、なにかしら興味
    をもっていただいたみたいで、ありがとうございます。^^

    数列や美意識で気づく、流れ・構成が何か気持ち悪いな、で気づく・・・
    どういうことなんだろう? 

    やはりマジモンさんは直感が鋭い系なのかもですね。
    マジモンさんには分かる何か、なんですね、きっと。
引用返信/返信 削除キー/
■7496 / inTopicNo.86)  Re[14]: 気づき
□投稿者/ マジカルモンキー -(2020/10/08(Thu) 13:38:48)
    こんにちわ、minoriさん

    貴女様の「気づき」のテーマに関する哲学、
    とてもワクワクしながら拝見しております。

    私は数列や美意識などで、気づいていきます。

    「 流れ・構成が何か気持ち悪いな… 」と感じたら、「気づき」ますね。

引用返信/返信 削除キー/
■7492 / inTopicNo.87)  Re[13]: 気づき
□投稿者/ minori -(2020/10/08(Thu) 08:40:42)
    悪魔ちゃん、こんにちは。

    > 「気づく」っていうのは、”すでにあるもの”に気づく、ってわたし見てる。
    > 「発見」もそうね。「発明」はちょっと違う感じだけど。

    うん。私が書いた「気づき」というのは、悪魔ちゃんが書いてくれてるものとはちょっと違うんだけど。

    でも、「気づく」というのは、”すでにあるもの”に気づく だと言うのは、日常的な感覚でもその通りだと思うし、学問的な態度(?)としても言えるのだと思います。
    なかったら気づけないものね。 どのような存在のしかたであろうと(見える、見えない問わず)、存在が先にあってそれに気づけるのだと思います。

    散歩しててコスモスの花に気づく。 それは、コスモスが咲いてたから気づいた。
    ということですね。


    > >気づくのは思考 と、悪魔ちゃんは考えるのね<
    > そうよ。
    > 思考は何のうちから気づくのかしら、っていう見方ね。

    > いまのところのを書くね。
    > 思考は感性されたものを見ているのね。そこから思考している。
    > この感性されたものが”すでにあるもの”。この感性を見ているうちに思考は気づくの。感性=すでにあるものは、「気づく」っていう領域じゃないから、気づくのは思考、ってなるのね。

    なるほど。言ってることは理解できると思います。

    受動的に感覚器官で受け入れたもの = すでにあるもの(例えるなら散歩中のコスモスの花)
    を、しっかりと確認するまでは、コスモスの花として認識してなくて、視界の端っこらへんにピンクとか白い何かが見えてる、って感じ。

    そして、しっかりと確認する(思考する)ことによって「気づく」。

    こうしたことを言ってるんだと考えたよ。 だいたいは合ってる?

    カント的だよね。


    > >「懐疑を徹底していなかった」というのは、どういうことを意味するの?<
    > これについては、いまどこを抜粋しようかって探してるとろこなので、後でね。

    は〜い。 いつでも。^^

    > あ、それから、「西洋哲学」っていう分類の仕方、わたしちょっと気になる。
    >
    > 生まれたての赤ちゃんはおっぱいを吸うことを”すでに知っている”。
    >
    > これを「本能」っていう「語」で片づけてしまえば、もうそれで終わり。

    ん〜まぁ。。分からなくもないけど・・、何かしら名付けておかないと不便じゃない?
    共通認識となるような分類、名付けというのは便利さはあるでしょ。

    分類、名付けは、「道具」であり本質は、言葉ではなかなか表せないって理解してれば、便利に使うに問題ないと思うけど。
引用返信/返信 削除キー/
■7481 / inTopicNo.88)  Re[13]: 気づき
□投稿者/ minori -(2020/10/07(Wed) 20:47:09)
    悪魔ちゃん、こんばんは〜。
    レスありがとう。
    明日また、よく読んでから返信させてくださいね。
引用返信/返信 削除キー/
■7478 / inTopicNo.89)  Re[12]: 気づき
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/10/07(Wed) 20:38:42)
    minoriさん

    「気づく」っていうのは、”すでにあるもの”に気づく、ってわたし見てる。
    「発見」もそうね。「発明」はちょっと違う感じだけど。

    >気づくのは思考 と、悪魔ちゃんは考えるのね<
    そうよ。
    思考は何のうちから気づくのかしら、っていう見方ね。

    いまのところのを書くね。
    思考は感性されたものを見ているのね。そこから思考している。
    この感性されたものが”すでにあるもの”。この感性を見ているうちに思考は気づくの。感性=すでにあるものは、「気づく」っていう領域じゃないから、気づくのは思考、ってなるのね。

    >「懐疑を徹底していなかった」というのは、どういうことを意味するの?<
    これについては、いまどこを抜粋しようかって探してるとろこなので、後でね。

    あ、それから、「西洋哲学」っていう分類の仕方、わたしちょっと気になる。

    生まれたての赤ちゃんはおっぱいを吸うことを”すでに知っている”。

    これを「本能」っていう「語」で片づけてしまえば、もうそれで終わり。





引用返信/返信 削除キー/
■7463 / inTopicNo.90)  悪魔ちゃんへ
□投稿者/ minori -(2020/10/07(Wed) 12:54:44)
    ごめんね〜。これ、返信するの忘れるとこだった。

    > >気づきはすべての対象に対する唯一の主体なのだ。気づきには形がないが、あらゆる形を見る。気づきは見られることがないが、見ている。<
    > これ、わたしなりに書き換えると、
    >
    > 気づきはすべての感性に対する唯一の主体なのだ。気づきには形がないが、あらゆる形を見る。気づきは見られることがないが、感性を見ているという思考なのだ。

    「気づき」を、感性を見ている思考 として、悪魔ちゃんは捉えているんですね。

    > こんな感じになるんだけど。
    > だから「気づく」のは思考であって、
    > >思考のない気づき<
    > っていうのはありえないことになっちゃうんだけど、わたしのばあい。

    なるほど。 気づくのは思考 と、悪魔ちゃんは考えるのね。^^

    「気づき」だけがあるということ、つまり、「思考のない気づきだけ」というのは、悪魔ちゃん的にはありえない、ということね。
引用返信/返信 削除キー/
■7442 / inTopicNo.91)  方法的懐疑
□投稿者/ minori -(2020/10/06(Tue) 20:34:34)
    No7438に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > デカルトの『省察と反論と答弁』にはこんなことが書いてある。
    >
    > 【第一省察 疑いを差しはさみうるものについて ( 〈懐疑〉を徹底する )
    > 私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか、したがって、もろもろの学問において堅固で朽ちることのないものを私がいつかは定着させたいと願うならば、一生に一度は[断固として]すべてを抜本的に覆してしまって、最初の土台からあらためて始めなければならない、と。】
    >
    > 前にも書いたかかな?
    >
    > ここから「方法的懐疑」が生まれて来るみたいだけど、デカルトはこの懐疑を徹底していなかったみたいよ。


    悪魔ちゃん、こんばんは。
    「懐疑を徹底していなかった」というのは、どういうことを意味するの?
    全然分からないので、よかったら教えてください。
    久しぶりに西洋哲学、いいね。^^
引用返信/返信 削除キー/
■7441 / inTopicNo.92)  Re[10]: 「気づき」とは。
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/10/06(Tue) 20:32:08)
    ■7419
    >気づきはすべての対象に対する唯一の主体なのだ。気づきには形がないが、あらゆる形を見る。気づきは見られることがないが、見ている。<
    これ、わたしなりに書き換えると、

    気づきはすべての感性に対する唯一の主体なのだ。気づきには形がないが、あらゆる形を見る。気づきは見られることがないが、感性を見ているという思考なのだ。

    こんな感じになるんだけど。
    だから「気づく」のは思考であって、
    >思考のない気づき<
    っていうのはありえないことになっちゃうんだけど、わたしのばあい。

引用返信/返信 削除キー/
■7438 / inTopicNo.93)  Re[9]: 「気づき」とは。
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2020/10/06(Tue) 20:08:07)
    デカルトの『省察と反論と答弁』にはこんなことが書いてある。

    【第一省察 疑いを差しはさみうるものについて ( 〈懐疑〉を徹底する )
    私は、すでに幾年か前のことになるが、こう気づいたのである。幼少の頃にどれほど多くの偽なるものを真なるものとして私が受け入れてしまっていることか、そしてそのようなものの上にその後私の積み重ねてきているものがどれほど疑わしいものであることか、したがって、もろもろの学問において堅固で朽ちることのないものを私がいつかは定着させたいと願うならば、一生に一度は[断固として]すべてを抜本的に覆してしまって、最初の土台からあらためて始めなければならない、と。】

    前にも書いたかかな?

    ここから「方法的懐疑」が生まれて来るみたいだけど、デカルトはこの懐疑を徹底していなかったみたいよ。




引用返信/返信 削除キー/
■7419 / inTopicNo.94)  「気づき」とは。
□投稿者/ minori -(2020/10/06(Tue) 08:24:00)
    最近、「哲学の雑談」トピでも話題にあがっている「気づき」。
    一体なにを言ってるのだろう?と疑問や関心を持ってくださった
    方もいるんじゃないかな〜、と思い(いないかもですが (^▽^;)
    少し書いてみます


    ・・・・・
    どのように気づきを認識するか

    1 思考のない気づきから始める

    今やっていることをちょっと中断してみてください。
    その時、あなたがどういう人間かという物語にまつわる思考が
    浮かんできたら、それを察知します。
    その思考が消えたら、残された思考のない空間として休息しま
    しょう。
    それが思考のない気づきです。
    ・・・・・
    『悟りを生きる 非二元へのシンプルなガイド』スコット・キロビー
    p21〜22より引用

    minoriが、以下の自分の文章で補足説明してみます。
    ゆったりと椅子や畳、ソファー、床などに座り、身体の力を抜きくつろぎます。
    「あ〜、疲れた、休もう」ってなって「座る」それです。
    心を静かにして、自発的には何かを考えないようにしてみます。
    しかし、おそらく、すぐに何かしらの「考え」が流れてくる浮かんでくると
    思います。
    例えばですが「秋物の服を出さなくちゃ」だったり、「あの仕事のあれ・・・」というようなことが。

    浮かんでくる「考え(思考 と呼ばれます。)」が一つ流れていくと、次に新たに何か違う「考え(思考)」がやってくるまでに、もしかしたらわずかながら空白の時間があるのに気づけるかもしれません。
    それが思考のない「気づき」です。

    本の引用文中に、「思考のない空間」とあります。
    この「空間」というのは、言語表現する必要性から「空間」とされていますが、「空間」と言っても「制限のない開かれた空間」と思っていただければ、です。


    ・・・・
     人間は、自分が何者かを知るためや、他の人々、世界の情報を知るために思考
    をとても信頼します。
    思考第一でそれに頼るため、世界にあるものは別々に独立して存在していると
    信じるようになります。
    それぞれに言葉で名前をつけ、分離したものとして考えます。
    ゆえに苦しみ、葛藤も生まれます。
    しかし、重要なのは、思考をなくすことではなく、「独立して存在するのというのは思い込みである」と見抜くことです。

    その手始めとして、「思考のない気づき」を認識することで、私たちは気づきとしてもともと単純に存在しているのだ、というのを知り、それが本来の自己であることを理解します。
    それは、安らぎ、自由、知恵、喜びをもたらします。
    ・・・・
     同書のp22〜p26をminoriが要約しました。


    ・・・・・
    気づきはすべての対象に対する唯一の主体なのだ。
    気づきには形がないが、あらゆる形を見る。
    気づきは見られることがないが、見ている。
    ・・・・・
    『気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?』グレッグ・グッド
    p12より引用。


引用返信/返信 削除キー/
■7410 / inTopicNo.95)  無題
□投稿者/ minori -(2020/10/05(Mon) 21:03:39)
    また近いうち、『野生の思考』を再開します。
    第四図での哲学も興味深いです。

    余談ですが・・・デカルトの「我思うゆえに我あり」は、
    非二元的にはおかしい、となっちゃうんです。
    「我あり」の根拠が「思う」であるのは、非二元的にはおかしい、
    ということです。

    非二元的には、「思う」は、「気づき」に現れる「現れ、現象」であり、本体は、姿も形もない「気づき」だからです。

    しかし、西洋的自我の「我」で社会通念は生活してますし、
    西洋的自我と非二元的「気づき」を両立させることは、何ら矛盾はありません。

引用返信/返信 削除キー/
■7392 / inTopicNo.96)  中道
□投稿者/ minori -(2020/10/05(Mon) 11:47:55)
    琴の弦(緊緩中道)
    パーリ語経典の律蔵・犍度・大品(マハーヴァッガ)においては、どんなに精進しても悟りに近づけず焦燥感・絶望感を募らせていたソーナという比丘が登場する[20][要ページ番号]。彼は、過度の修行により足から血を流すほどであった[20][要ページ番号]。それを知った釈迦は、ソーナが琴の名手であったことを知り、以下の説法を行った[20][要ページ番号]。

    「ソーナよ、どう思うか。もしあなたの琴の弦が張り過ぎたならば、琴の音色は快く妙なる響きを発するだろうか?」
    「いいえ、そうではありません、大徳(釈迦)よ」
    「ソーナよ、どう思うか。もしあなたの琴の弦が緩すぎたならば、琴の音色は快く妙なる響きを発するだろうか?」
    「いいえ、そうではありません、大徳よ」
    「ソーナよ、どう思うか。もしあなたの琴の弦が張りすぎず、緩すぎもなく、丁度よい度合いを持っていたら、琴の音色は快く妙なる響きを発するだろうか?」
    「そのとおりです、大徳よ」
    「ちょうど同じように、ソーナよ、行き過ぎた努力は高ぶりを招き、少なすぎる努力は懈怠を招く。それゆえソーナよ、あなたはちょうどよい努力を保ち、感官にちょうど良いところを知り、そこに目標を得なさい」

    —  ケン度大品 5,16-17 [20]
    弦は、締め過ぎても、緩め過ぎても、いい音は出ない、程よく締められてこそいい音が出る、比丘の精進もそうあるべきだと釈迦に諭され、ソーナはその通りに精進し、後に悟りに至った。
    ‥‥ウィキより引用

    中道の解釈は幾通りもあるようです。
    上に引用させていただいたものは、理解しやすいし生活への応用もしやすいと思います。

    八正道を実践することが中道の意味するもの、とも言われます。
    八正道の実践は、なかなか難しく挫折感から「もうムリ〜」となりがちだと思うのですが、「ムリ〜」と諦め投げ出さず、弦の譬えも参考にしながら、ムリ無くしていけばいいのだと思います。

    なんてね〜、これ、minori自身に言ってるようなものです。^^

    ご参考までに。
引用返信/返信 削除キー/

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