| 昭和27年に東京穀物商品取引所(東穀取)が開設されて間もないころ、「売りの山種(山崎種二)」に向かって買い進んだのが吉川太兵衛。まだ30歳そこそこの若武者だが、柔道5段、5尺6寸、25貫の堂々たる体格は山種に引けを取らなかった。
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「買いの総帥吉川太兵衛は、この下げ相場の舞台裏で着々と復しゅう戦を練りつつあったが、児玉誉士夫を黒幕として、資金調達には三菱商事、金融界の怪物・森脇将光、株界で風雲を呼ぶ堀久作日活社長を構えるという大掛かりな陣容で、物量戦でも山種を上回るものがあった」(徳山倉商著「百戦連勝」)
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そして昭和32年4月限で勝負に出る。納会前日の23日には1万890円の最高値をつけ、世人をあっと驚かせる。風雲児・吉川太兵衛のすごみをみせつけるが、この日が吉川の相場人生の大天井となる。翌日は売り方の巻き返しにあって、8360円と暴落して納会。暴落の一因は深川の雑穀商が現物の裏付けのない約2万俵の"カラ荷証券"を渡したためで、のちに裁判沙汰となるが、吉川もこの戦いを最後に蛎殻町を去る。
2011年9月3日 15:00 [日本経済新聞有料会員限定]
なんでカラ荷証券のせいで暴落するのか昔からわからない。いずれ調査する。
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