| キリスト教でも、宇宙内部の時間は直線になぞらえられます。過去→現在→未来。この直線を進むように、被造物世界は展開していく。対するに、神は超時間、永遠のNow。人間の行動は時間という直線上を動くが、神の眼からは直線上のすべてが等距離で、無時間にすべてが一望の下にある。
これが神の全知だとされています。被造物の時間と神の時間(超時間・無時間)は全く異質で混同してはいけないと。
さて、どんなに膨大な直線時間上の点における人間の行動も、神からは等距離だとしても、これは点における人間の自由意志を否定し奪うものではない。自由意志をもちつつ直線時間を動いていく人間を神は見ている、ということです、各点において人間は自由意志をもっている。
意志のないロボットが直線時間を動くの見ているのでは決してない。
もう一ついうと、自由意志否定の人間はありえないというのは真の人間でもあるイエスを考えれば自明だと思いますが。福音書のイエスは自由意志のない操り人形のようですか?そんなわけないね。イエスは人間の行動モデル、プロトタイプですよ。
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